「わかり合う」なんて不可能です

2018年9月18日

「これはあくまで現時点での私にとっての正解でしかない」「でもそれでいい」「みんなにとっての正解なんかどこにもないのだから」
そう心底思っているから、私は、割とこだわりなく、誰に対しても、どんなことでも言えるんだと思う。

誰かに「あんたの考え、間違ってるよ」と言われても、「そうかもね。でもいまはこう思うんです。明日には変わっているかもしれないけど」と笑える余裕。なんていうか、すごく楽だ。

この世には「絶対的な正解」も「普遍的な真理」もないと思っています。

いや、正確に言えば「ある」んですけれど、
それをことばで「掴む」ことは決してできない。

「掴もう」とする手をゆるめて(「掴もう」という気持ちを手放して)
「いま・ここ・自分」にくつろいでしまったときに見えてくるものが、
まさしく「それ」(っていうか「これ」)なんですよね。

つまり、ことばで表されるものは、どこまで行っても「それ」ではない。
どこまでも仮のものでしかない。

そんなものにこだわりを持ってもねえ……。

ことばで「それ」を指し示して、

「みんなでそれに到達しよう!」「それこそが平和への道である!」

なんて、詭弁もいいところですよ。

ことばを使って人とわかり合うなんて無理なんです。
というか、そもそも「わかり合う」ということ自体、不可能なんです。

私たちは、どこまで行っても「ばらばら」です。

でも、「ばらばら」であることを認めて、
ちゃんと「ひとり」を生きる覚悟を持った瞬間に、
私たちは、「ばらばらのままにひとつ」だったことに気づくんです。

そこに「理解」は必要ありません。
「理解」する「わたし」も、
「理解」される「あなた」もいないから。

「なんでわかってくれないんだ!」
「これを理解できないなんておかしいよ!」
と相手を責めるぐらいなら、
さっさと口を閉ざして、静かに「ひとり」になろう。
「ひとり」であることを徹底しよう。

「ひとり」は、怖くないです。
「ひとり」と同時に、「ひとつ」があるから。

 

よい一日をお過ごしください。