苦行はいらない

2018年9月23日

基本的にあたまからっぽ状態で、ひとり遊びがたのしくて、それだけで大満足で。誰かに連絡したくなったらその場でメッセージを送って。メッセージを送れた時点で満足で、相手からの返事なんか来ても来なくてもどうでもよくて。起きてから寝るまでずっとそんな感じで……。これが私の日常です。

で、疑問なのは「私、いつからこうなった?」ってこと。ほんと前はぜんぜんこんなじゃなかった。頭の中はいつだって他人でいっぱいで、しあわせは他人の言動に完全にかかっていて。でもいまはそんなことが一切ない。自分のしあわせは自分のあり方だけにかかっている。そのことを完全に知っている。

しあわせなあり方って、つまりは「いま」「ここ」「自分」を生きることです。それ以外にない。「いま」「ここ」「自分」に夢中になりすぎて、「いま以外のいつか」「ここ以外のどこか」「自分以外の誰か」にうつつを抜かしている暇がないんだよなあ。

こういうあり方を「自己中!」「周りが見えてない!」などと糾弾したい人もいるでしょう。でも、騙されたと思ってやってみて。こんなに楽な生き方ないから。この楽さを極めていくと、最終的に、「自分しかいない世界には、自分すらいない。同時にすべてがある」という気づきがおとずれるんだよ。これが「さとり」なんじゃないの?

少なくとも、私は、この生き方最高だと思っているけれどね。楽なのがいちばん。心地いいのがいちばん。自分の人生まるごと肯定できるのがいちばん。本気でそう思います。だって、世界にはそもそも自分しかいないのだから。(同時に、自分すらいないのだから。)

生き方が、どんどんどんどんシンプルになっています。

「こう生きよう」というはからいを手放して、
「ただ、ある」ということに落ち着くようになったら、
なんか、こんな感じになってしまいました(笑)。

ほんと、楽なのがいちばん! 心地いいのがいちばん! と思います。

気楽な感覚が失われたとき、気分の良さが損なわれているときは、
単純に、「ただ、ある」というところからズレているだけ。
「嫌な感じ」はそのお知らせ。
受け取ったら「元」に戻ればいいだけです。
シンプルの極みですね。

「自分しかいない世界には、自分すらいない。同時にすべてがある」

って、ある種「さとりの境地」だと思うんですけれど、
それを知るのに「苦行」は一切必要なかったです。
むしろ「自分に無理をさせない」ということを徹底しはじめたら、
拍子抜けするほど簡単にその境地が見えてきたので驚きました(笑)。

羅針盤は、いまここの、自分自身の心地よさ。
それだけ。

こんなこと、学校では教えてくれなかったぞ……。

まあ、これはあくまで私のやり方です。
良さそう! と思った方は、参考になさってください。

苦行が好きで好きでたまらない! という方は、どうぞご自由に。
ただし、それを自分で選んだという自覚だけは持っていてね。
自分の苦しさを、誰かやなにかのせいにしないでね。

しあわせを生きるのも、
不幸を生きるのも、
完全に「いま」「ここ」「自分」次第です。

 

さて、今日、明日は、たのしみにしていた「ひもトレ祭」!
夫が超素敵な紹介文を書いてくれました。

ヒモトレを通して見出されるものって、仏教とか、そのほかの様々な智慧が指し示しているものとまったく同じなんですけど、ヒモトレはとにかくシンプルで、まったく大げさじゃないところがいいなって思うんです。日常のテンション。この「なんでもなさ」においては、悟りがどうこうとか、まだまだ修行が足りないとか、あの人はすごいだのすごくないだの、そういう一切がいかにどうでもよいか、もったいぶったものであるかということがすんなり納得されてしまいます。

とにかく、この既にある「これ」について深く共鳴し合っている小関さん、遥子さんの対話とくれば、これはもう面白いことになるのは間違いないですね。

「大げさじゃないところ」。
ほんと、これに尽きますね。
ヒモトレの魅力は、そのシンプルさにあります。

お越しになる方、会場でお会いしましょう!
声かけてくださいね〜。

 

よい一日をお過ごしください◎