神仏の「呼び声」

2018年10月8日

私は基本的に他人にアドバイスをしないけれど、もし求められてすることがあったら、「こうしたらもっと楽に呼吸ができるかもね」という気持ちと、「でも、まあ、そのままでもいいんじゃない? あなたの人生完璧だもの!」という気持ちを、完全に同等に持ち合わせた地点からなにかを言うことにしています。

そうじゃなかったら、相手に「呪い」をかけることになるからね。

で、相手への呪いは、そのまま自分への呪いになる。そんな恐ろしいこと、私はしたくないよ。

私という人間のベースには、

「すべてはありのままで完全であり、完璧である」

という世界観が、なぜかドーンと横たわっており、
そこから派生して、

「あなたはぜったい大丈夫! ありのままで完全、完璧なのだから!」
「ついでに私も大丈夫! ありのままで完全、完璧なのだから!」

という人間観も、ドドーンと横たわっています。

でも、この「ありのままで完全、完璧!」という声を響かせているのは、
あくまで「神」や「仏」(と便宜上呼ばれるなにか)サイドであって、
決して、私個人ではない、というのが大事なポイントかなあ、と。

一個人としての小出遥子が、世界や他人や自分自身に対して
「ありのままで完全、完璧!」と思える瞬間なんか、
はっきり言ってごくごく(ほんとうにごくごく!)稀で、
だいたいいつも「なんでそうなるの!」と、
こころの中で文句を言ってはぶすくれています。

でもね、そんな瞬間でも、どういうわけだか、
「ありのままで完全、完璧!」の呼び声だけは、
いつだって、いまこの瞬間も聞こえ続けていて……。
(「聞こえる」っていうのは、もちろん比喩ですが。)
ぶすくれた私を、「原点」に立ち返らせてくれるんですよね。

この(神仏からの)「呼び声」、
いったいいつから聞こえるようになったんだろう。

ある日突然! という言い方もできるし、
薄紙一枚一枚積み重ねて、少しずつ……という言い方もできる。

まあ、どちらでもいいです。

大事なのは、その呼び声が、
いま、間違いなく、私の元に届いているということ。

ほんとうはすべて「ありのままで完全、完璧!」なのだと、
知っているのと知らないのとでは、人への接し方、
ひいては世界への関わり方が、まるっきり変わってくるなあ、と。

どちらがどうってわけじゃないけれどね。
でも、私は、自分も、相手も、心地よくいられる道を選びたいな。

今日も「呼び声」にじっと耳を傾けよう。
あなたも私も大丈夫。
その地点から、生きていこう。

 

毎朝の「ラジオ瞑想」は、
この「呼び声」に耳を傾け続けるレッスンになるんじゃないかな。

今日もこのあと朝6時から生放送します。
瞑想初心者大歓迎。
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お待ちしています◎

小出遥子の「ラジオ瞑想」
毎朝6:00-6:30

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