「サイのツノのように、ただひとり歩め」

2018年10月20日

人は、どう頑張ったって、どんなに努力したって、どこまでいっても「ひとり」なのだと、世界は人の数だけあるのだと、そのことがわからない限り、「暴力」の連鎖は続いてしまうんじゃないかな。ここで言う「暴力」って、「これこそが正解だから、あなたもこれに合わせなさい」という圧力のことです。

私たち、ほんとうに、どこまでいっても「ひとり」です。

私はどこまでいっても私だし、
あなたはどこまでいってもあなたです。

私の生きる世界と、あなたが生きる世界が
重なったり交わったりすることは、
未来永劫、ありません。

いい加減、目を覚ましませんか?

「みんな」が生きている、たったひとつの世界があるって、
私たち、当たり前のように思っていますけれど、
それってほんとうにほんとうなんですかね?

私とあなたと彼と彼女は、
それぞれ別々の世界を生きていると、
その世界が重なったり交わったりすることはないのだと……
そう考える方が、むしろ自然じゃないですか?

重なった!」「交わった!」と思っても、
それは、「重なった!」「交わった!」と思っている「自分」がいるだけ。
どこまでいっても自分の世界は自分の世界、相手の世界は相手の世界で、
実際には、なにも重なっていないし、交わってもいないのです。

って、こんなことを言うと、
「そんな恐ろしいこと言わないでください!」って
血相変えて抗議してくる人が出るんですよね(笑)。

なにが恐ろしいんだろう?

「世界はひとつ!」「正解もひとつ!」
「私もあなたも彼も彼女も、
たったひとつのこの正解に合わせて生きていきましょう!」
「これこそがたったひとつの世界平和への道です!」

って、私は、こっちの思想の方が、
よっぽど暴力的だし、恐ろしいと思うけどな。

私は私の世界を、あなたはあなたの世界を、
彼は彼の世界を、彼女は彼女の世界を、
みな、それぞれ懸命に生きていて、
どちらの世界が良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとか、
そんな比較すらナンセンスで、
すべては、ただ、そのようにあるだけで……。

その事実を、端的に「事実」として認めた先に、
そして、それぞれが「ひとり」を生きていく覚悟を決めた先に、
はじめて、「世界はひとつ」ということばが有効になってくるのだと思います。

「サイのツノのように、ただひとり歩め」

「ひとり」を、生きていきましょう。

 

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