いのちに動かされて、いのちに涙して

2018年11月22日

Temple festival終了後、東京から二日間通しで参加してくれた男の子が、「ほんとうに、ぜんぶ、大丈夫なんですね……」って、とってもやわらかい笑顔で、しみじみと伝えてくれました。それがなんだかすごくうれしかったです。いのちに触れると、「大丈夫」の意味が理屈を超えて腑に落ちてくるのですね。

相変わらずの風邪っぴきで、
今日も「ラジオ瞑想」をおやすみさせていただきました。

明日には、瞑想、再開できるといいなあ……。
とりあえず、いまはゆっくり休みます。
からだが休みたがっているのだものね。

ゆっくり休みながら、
じっくりとTemple festivalのことを振り返っているのですが、
ほんとうに、いま、どのシーンを思い浮かべても、
いろんな人の、とってもやわらかい笑顔がそこにあったなあ……って。

冒頭で書いた男の子の笑顔はとくに印象的でした。
彼は過去幾度か私のお話会にお越しくださったんですけれど、
回を重ねるごとに、どんどんどんどん表情がゆるんでいって、
Temple festivalの最後には、
いままで見たことがないほど、やさしいお顔をされていたんです。

やさしいだけじゃなくて、なにか、内側からの光を感じました。
大げさじゃなく、仏さまみたいだった。
あれが、彼本来のお顔なんだろうな……。

すごいものを見せていただきました。
そして、こころの底から感動しました。

本来的な「いのち」のあり方を思い出す場としてのTemple。
4年かけて、ちゃんとかたちになったじゃん。
私、よくやったじゃん。すごいじゃん! って。

まあ、何度も言うように、
「私はなにもしていない」のですけれどね。
私は、「いのち」に動かされただけだ。

「いのち」に動かされてTempleという場をつくり、
Templeという場に浮かび上がった「いのち」の姿に、ただ、涙して……。

ああ、もう、ほんとうに悔いはありません。
胸を張って、「Temple主宰」の立場を降りられるよ。

なんの力みもなく、しみじみとそう思えたあのシーンは、
生涯、私を支え続けることになるでしょう。

さあ、私はこれからなにをするんだろうか。
なにをしていくことになるんだろうか。

いまは、特別、なにを「したい」ということもない。
ただ、「ひらいて」「とかして」「生きて」いきたい。

そんな風に思っています。