勇気って?

2018年11月24日

大好きな人が、私のことをこんな風に言ってくれた。

「勇敢な人、と思いました。それはすべてへの信頼から湧きあがる勇気なのでしょうね。」

このことばをもらったという事実が、また、私に勇気を出させる。

次はどんな景色が待っていてくれるだろう。

私は、私のことなんか、これっぽっちも信頼していない。でも、私をも含めた「すべて」を、つまりは大きな「わたし」を、とにかく、絶対的に信頼している。だから、何度でも勇気を出せる。

最近、「勇気」ということばの意味を、あらためて考えています。

私は、たぶん、「勇敢な人」「勇気のある人」なんだと思う。
いろんな人にそんな風に言われるし、
実際、それに見合った行動も、たくさん取ってきました。

でも、「勇気のある人」=「自信のある人」とは言い切れないな、と思うんです。

だって、私、自信なんか、はっきり言って、ぜんぜんない。
自分を信じるって、ものすごく難しいことです。

言うこともやることもコロコロ変わるし、
面倒臭がりで怠け者だし、
体力がなくてすぐに疲れて眠くなるし、
嫌なことからは全力で逃げるし、
お金の計算が苦手だし、
ご飯も食べずに、お酒ばっかり飲んでいるし、
夫からは「バカボンのパパみたいな人だよね」と言われるし……

そんな私を信頼するって、至難の技だと思うんですよ(笑)。

でもね、私は、そんな私を生み出した全体の流れを、
世界のすべてを、つまりは大きな「わたし」を、
掛け値なく信頼しているんです。

すでにこうなっている。
これ以外に、なりようがなかった。

それ以上の真実って、ないと思うんですよね。

世界全体という大きな海の中で、私という小さな波が生まれて、
波は波なりに、なにかを感じ、なにかを思い、なにかを行い、
時が満ちたら、また、大きな海に戻っていく……

その全体の流れを、全体の動きを、大きな「わたし」のはたらきを、
私は、ただ、信頼しています。

波は、海の一部です。
小さな波が、大きな海の中で、生まれ、生きて、死んでいく。

波としての自分の運命を、
本気の本気で「自分ごと」として引き受けたとき、
人は、果てしない勇気とともにある自分に気づくのでしょう。

そんな風に感じるのです。

 

思った以上に症状が重いので、今週いっぱい(25日まで)
「ラジオ瞑想」をおやすみさせていただくことにしました。
26日から再開予定です。
みなさま、どうか、おからだご自愛くださいね……◎