尽十方無碍光如来 × 尽十方界真実人体

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

先日、6人のお坊さんの活動を追った、後藤サヤカ監督渾身のドキュメンタリー映画、「Buddhist -今を生きようとする人たち-」の完成後初となる上映会が、すみだリバーサイドホールにて行われました。

上映終了後、この映画にもご出演されている、浄土真宗僧侶・麻田弘潤さん、曹洞宗僧侶・藤田一照さん、そして後藤サヤカ監督、この3名でのトークショーがありました。興味深い内容盛りだくさんな、大変濃密な時間だったのですが、中でも印象に残ったのが以下のお話。

「南無阿弥陀仏は“帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)”ともいう。阿弥陀如来の救いの光は何者にも妨げられることがなく、全方位、全時間をひっくるめて、あらゆるいのちが救われていく光です。その阿弥陀如来を尽十方無碍光如来とも呼びます。突き詰めると、あらゆるいのちがつながっているということでもあります。 私は南無阿弥陀仏とお念仏しながら、自己中心的になりがちな日々の行動をそこに照らし合わせながら生活しています」という麻田さんのお話があったのち、藤田さんがこのようなお話をされました。

「禅にも“尽十方界真実人体(じんじっぽうかいしんじつにんたい)“という大事なキーワードがある。世界全体が、自分のほんとうのからだである、という意味。坐禅は、ともすれば内へ向かって閉じがちな自分を”尽十方”へと開いていく、自分と世界との本来的なつながりを実感していく、そういう営み。そういう意味では、“尽十方無碍光如来”の念仏と坐禅は、まったく同じ方向を向いていると思いますね」

「禅」と「念仏」。なにかと対比されることの多い両者ですが、最終的な到達地点として「ほんとうのいのち」「ほんとうのわたし」を置いている、その一点においては、実は、一ミリの相違も見られないものなのかもしれません。そして、そこにこそ「仏教」の本質があるのかもしれないな……と、そんなことを思ったのでした。

麻田さん、藤田さん。大変貴重なお話をありがとうございました。

「Buddhist -今を生きようとする人たち-」については、次のコーナーで詳しくお知らせいたします!

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年7月5日発行号より転載)