【一休】心というものは、いかに判じ申すに、 かげかたちなきもの也

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

心というものが、人間ひとりにつきひとつずつ与えられていて、その実在はもはや疑いようのないものである……という「幻想」が、すべての誤りの大元なのではないかな、なんてことを思うことがあります。

私たちは、自分の身体の中に、心というものが存在していて、それがすべてを「感じ」「考え」「動かしている」という風に、当然のように思っています。しかし、それって、ほんとうにほんとうなんでしょうか? 「感情」や「感覚」や「思考」や「行動」の出どころを、私たちはほんとうに知っているのでしょうか?

よくよくその出どころを観察してみると……それらは、すべて、縁の中でごくごく自然にあらわれ、ごくごく自然に消えていってしまうことがわかります。つまり、心などという確固たる存在はほんとうはどこにもなく、すべては縁の中で、ただただ生滅を繰り返しているだけなのです。

その事実がストンと落ちてきたときに、人は、自分自身の心からも解放され、ほんとうの意味での「自由」を味わえるようになるのではないでしょうか。

なんとなく、そんなことを思いました。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年10月30日発行号より転載)