【道元】若(も)し地に因(よ)りて倒るるときは還(かえ)って地に因りて起(た)つ。地を離れて起つことを求むれども、終(つい)に其の理無し。

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

上記は、ごく最近、お世話になっている、あるお坊さんに教えていただいたことばです。意味を尋ねると、「まあ、簡単に言えば“倒れたところで立て!”っていうことだよね」とのこと。

最初は、随分と厳しいことばだな……、という印象を受けました。でも、その意味をじっくりとかみ締めてみればみるほど、実は、これ以上に、愛のある教えもないのではないかな、と思うようになったのです。

実際、私たちは、自分の倒れた場所から離れた場所で起き上がることはできません。倒れた場所の5メートル先で起き上がることも、3メートル手前で起き上がることも、ぜったいに不可能なんですね。

「倒れたところで立て!」というのは、つまり、「“苦”(=思い通りにならないことに対する葛藤)を味わっている自分自身を、よくよく見つめなさい」というメッセージなのではないかな、と思うのです。

自分はどうしてこんな“苦”を味わうことになったのか。自分にもたらされた“苦”は、ほんとうに「誰か」や「なにか」や「出来事」によるものなのか。そして、なによりも、“苦”のど真ん中でもがいている、この「自分」とは、いったいなにものであるのか――

これらを見つめるのは、はっきり言って、相当厳しい修行になるかもしれません。でも、それをしないことには、いつまで経っても、ほんとうの意味で「起き上がる」こと、つまり、「“苦”から自由になる」ことなど、決してできないのではないでしょうか。

お釈迦さまは、“苦”をあるがままに見つめることによって、究極の真理を見い出されました。

“苦”が身の内に生じているときこそ、実は、ビッグチャンスなのかもしれません。そこで、真実、「自分」と向き合うことができたのなら……、後には、かならず、大きな変容を遂げた、しなやかで力強い己の姿に出会えるのではないでしょうか。

「倒れたところで立て!」

このことばを、厳しくもあたたかなエールと受け取って、私も、あらためて、「いま」「ここ」の「自分」の姿を、じっくりと見つめてみようと思います。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年8月23日発行号より転載)