自分の死に顔を眺めてみよう

2018年12月27日

毎朝のラジオ瞑想では、

大きくて透明な目で、いまの自分を、ただ、眺める

というAメディテーションという手法(?)をシェアしています。

過去何度も言っていることですが、この瞑想法って、
私が「つくろう!」と思ってつくり出したものではなくて、
気がつけばそこにあったもの、というのが正確なところなんですね。

で、じゃあ、なぜ私が「透明な目」の存在に気づいたのか、
そのきっかけはなんだったのか、と振り返ってみたとき、

「ああ、あれこそがAメディテーションの原型だわ……」

という、あるワークがあたまに思い浮かんできたので、
今日はそれをシェアしますね。

そのワークの概要はとってもシンプル。

自分の死に顔を思い浮かべて、それを見る。眺める。
以上です。

これ、私が29歳のときの初夏のある夜に、
なんとなく人生に行き詰まって、
実際に息が詰まってしまって(突然呼吸がうまくできなくなった)、
プチパニックに陥ってしまったときに、
なぜか、急に思い立って、ワークとも思わずにやってみたワークなんです。

あの夜、
「こんなに苦しいなら、もう死んでしまおう」
そう、はっきり思ったことを覚えています。

でも、そのとき、あまりにも呼吸が苦しすぎて、
からだを動かすこともままならず……
だから、実際に死に向かうための行動は取れなかったんです。

それならば、と、イメージの中で、自分を亡き者にしました。
棺桶に横たわっている自分の姿を、想像してみたんです。
死に顔も、ものすごくリアルに、思い浮かべました。

お葬式の弔問客の目線になって、
青白く、頼りない自分の死に顔を覗き込んだ、次の瞬間……

私、号泣していました。
涙が溢れて止まりませんでした。

他者として眺めた自分は、ほんとうに愛おしい存在でした。
アホなことばかりやってきたけれど、毎瞬毎瞬を、懸命に生き続けた。
ただしあわせになりたくて、その一心で、必死にもがき続けた。

そんな自分が、愛おしくて愛おしくて、たまりませんでした。

大きな「ゆるし」の感覚が、私という人間をまるごと包んでいきました。
「ゆるし」の中に、私という個人が、完全に溶けていきました。

「ゆるされたい」ともがいていた私は、圧倒的な愛の中で、
すでに、完全に「ゆるされていた」のでした。

神。仏。天。宇宙。愛。

そういったことばで呼ばれているものの正体が、
理屈を超えたところから、こころとからだまるごとで、理解されていきました。

いま思い出しても、なぜあの瞬間、
自分が自分の死に顔を思い浮かべてみたのか、
まったくもって謎です(笑)。

でも、あれ以来、私に、透明な目の中で、
自分自身を他者として眺めるクセがついたことは間違いのないことで。

まあ、それを、私、ほとんど無自覚のうちにやっていたんですけれどね。
でも、今年の夏、ふと、それが言語化できた瞬間が訪れて……

そこから数ヶ月経って、Aメディテーションという名前をつけて、
みなさんにこれをシェアすることを思いついたんです。

以上、Aメディテーション誕生秘話でした(笑)。

「自分の死に顔を思い浮かべて、それを自分で眺めるワーク」(長いな!)
ご興味があったら、ぜひ、お時間のあるときに、やってみてください。
やってみたら、感想聞かせてくださいね。

 

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