【金子大栄】花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ。

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

今回は、明治~昭和期に活躍された真宗大谷派の僧侶・金子大栄さんのことばを選びました。
大谷派と言えば、以前、京都駅前の東本願寺に、このようなテーマが大きく掲げられているのを見たことがあります。

今、いのちがあなたを生きている

「なんのこっちゃ……?」と思いつつ、なにか引っかかるものがあって、以来ずっと私の胸の内に置かれていたこのテーマですが、あるとき、冒頭に挙げた金子さんのことばと出会ったとき、ふいに、その意味が「ストン」と落ちてくるのを感じたのでした。

私たちは、ひとりひとりが、それぞれに、無数の、個別のいのちを持っていると思って生きている。だけど、ほんとうは逆で、たったひとつの、果てしなく巨大な、無限のいのちが、私たちという個別のかたちを生きているにすぎないのではないかな、と。そして、無限の広がりを持つ「今」を生きている、たったひとつの「ほんとうのいのち」こそが、「仏」と呼ばれるものなのではないかな、と……。

花びらは必ず散ります。人の肉体も、いつか必ず終わりを迎えます。だけど、ひとつひとつの花や人を生かしている、たったひとつの「ほんとうのいのち」には、決して終わりがないのだとしたら……。個別のいのちを生きている、という幻想から目覚め、永遠のいのちへととけていくことが、「死」というものの本質であるのだとしたら……。

それは、「出立」などではなく、むしろ「帰還」と呼べるようなものなのかもしれません。

でも、なにも死を待たなくても、私たちは、ひとりひとりが、ほんとうは、今この瞬間も、たったひとつの同じいのちを生きている、たったひとつの同じいのちに生かされている、かけがえのない存在なのですね。

つながりや絆というものの大切さが叫ばれる現代ですが、ひとりひとりが、自ら“を”生きる「ほんとうのいのち」に思いを馳せてみたときに、それらは、存在の根幹の部分に、おのずと見出されてくるものなのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年10月4日発行号より転載)