【法然】月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

上記は法然上人の詠まれた歌で、浄土宗の宗歌にもなっています。「阿弥陀仏の光明は全世界をあまねく照らし、どんな人をも救い取るという慈悲の心を歌われたもの」とされています(浄土宗公式サイトより)。

「この世に仏の光が届かないところはないけれど、その慈悲をありがたく受け取る人の心には、より一層うつくしく輝くものだ」といったような意味になるでしょうか。

仏の慈悲の光は、どのような存在にも、くまなく、きっちり、まったく平等に、降り注がれている。どのような環境におかれていたとしても、いま、ここに、こうして存在している、もうその時点で、仏のはたらきの中にあることは間違いのないことなのでしょう。

その“真実”を、理屈を超えたところから理解した人の心には、強い感謝が、ごくごく自然に湧き上がってくることでしょう。その感謝の念がかたちをとったものが、「南無阿弥陀仏」の六文字になるのかもしれません。

感謝の念が湧き上がるから「南無阿弥陀仏」をとなえるのか、「南無阿弥陀仏」をとなえるから感謝の念に包まれるのか……。きっと、まったく「同時」なのでしょうね。

時には月の光に照らされながら、いま、ここに、こうして存在していることの不思議さに思いを馳せてみると……「仏さま」を、ぐっと身近に感じられるかもしれませんね。

南無阿弥陀仏

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年10月25日発行号より転載)