【道鏡慧端】一大事とは、今日只今の心なり

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

道鏡慧端(どうきょうえたん)さんは、江戸時代の臨済宗のお坊さん。「正受老人」の名前の方が知られているかもしれませんね。臨済宗の中興の祖・白隠禅師の師にあたり、厳しい指導によって、彼を大悟まで導いた人物として伝わっています。

冒頭に挙げたことばでは、ただただシンプルに、「いま」というものの大切さが説かれています。「過去や未来にわずらわされず、いまを生きよ」。禅の根本にある思想、と言ってもいいかもしれません。

これ、「言うは易し、行うは難し」の極地で……。どんなに「いま、いま、いま、いま! いま、この瞬間しかない!」と、どんなに思ってみたとおころで、こころはあっという間に過ぎ去ったことや未だ来たらぬことに向かってふらふらと旅を始めてしまいます……。何度やっても結果は同じなのでした。

でも、あるとき、ふっと力が抜けて、気がついたのです。

過去や未来へと我がこころを遊ばせているということ、それ自体が起こっているのは、確実に「いま」だよな……と。

「いま」というのは、過去から未来に向けて直線状につながっている時間の中に閉じ込められた、狭苦しい「この一瞬」のことじゃなくて、「過去」や「未来」をも含め抱いた、果てしなく広大な「これ」、あらゆる一切の母体としての、この「いま」のことなんじゃないかな、と……。

「過去」や「未来」、それ自体を敵視するのではなく、「過去」や「未来」をも含めた、ありとあらゆる出来事や思考や感情、そのすべてが、まさしく「いま」「ここ」で起こっている……その事実に目を見開き、しっかりと受け止め、地に足をつけて生きていく。それこそが“「いま」を生きる”ことであり、正受老人の仰る「一大事」の内実であるのかもしれません。

「いま、いま、いま、いま!」と力んでいた自分を手放してみたときに、目の前に開けている限りなく豊かな世界こそが、「いま」というものなのかな、と……。ゆったりとした気分の中で、ふと、そんなことを思ったのでした。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年11月15日発行号より転載)