私、偏った人間です。

2019年2月7日

※2月11日までインドにおります。
その間のブログは日本にいるうちに予約投稿してあります。
よろしくお願いいたします◎

 

「私、偏っているんです」ってあっけらかんと言える人は、実際にはバランスのとれた人だと思う。0から100まであるうち、ど真ん中の50からずれないように歩くこと=バランスをとること、というわけじゃない。0の位置にいようが、100の位置にいようが、そこに自覚のある人は偏りから自由でいられるんだ。

「私はまったく偏っていません!」「バランスの取れた人間です!」と鼻息荒く言っちゃう人の方が危険だよ(笑)。

バランスの取れた人って、
心身のどこにもまったく偏りのない人のことじゃなくて、
偏りがあることに対して自覚的な人のことを指すんじゃないかな。

っていうかね、
どこにも偏りがない人なんか、この世に存在しないと思うんです。
(偏りがないと思い込んでいる人は多そうだけど! ふふふ、辛辣ですね!笑)

そもそも、大きないのちの中に生じる偏りこそが、
個別のいのちと呼ばれるものだったりするので……。

偏っていていいんですよ。
偏っていて当たり前!!!

0から100まであるうち、どの位置にいてもいいんです。

「バランスを取ろう!」と力んで、
平均台(50ぴったり)の上を恐る恐る歩くようなことをしなくていい。

0にいようが、15にいようが、38にいようが、56にいようが、
71にいようが、99にいようが、あるいは50にいようが、

いま自分が立っているのは、
0から100まであるうちの、ほんの一点に過ぎないのだと、

そして、これはあくまで、現時点での立ち位置に過ぎなくて、
次の瞬間、自分がどこにいるのかは、自分ですらわからないのだと、

自分はいつだって無限の可能性に向かって開かれているのだと、

そのことに自覚的であれば、偏りから自由でいられる。
結果として、バランスの取れた人でいられる。

こういうのを「中道」とか「中庸」とか言うんじゃないの?
え? ちょっと違う?(笑)

自覚は、自由の母体です。
意識をおなか(TANDEN)におさめて、
広い視野で、すべてを眺めていたいですね。

 

インド滞在中も、できる限り、
「ラジオ瞑想」を配信したいと思います!
日本時間22時頃開始(瞑想30分、トーク10分)です。

配信できない日は、事前にツイッターで告知しますので、
YouTubeの録音で「自習」をおたのしみくださいませ◎