【慈雲】天地を以てわが心とせば、いたるところ安楽なり。

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

今回は江戸時代の真言宗の僧侶・慈雲尊者のことばを選んでみました。「世界のすべてを我がいのちとして生きていけば、そこにはもはや安楽しかない」……かなりの意訳ではありますが、私はこのように受け取りました。

つまるところ、すべてはわたしである、と。その真実を生きていきなさい、と。慈雲さんはそのようにおっしゃっているのだと解釈できますが、普段、皮膚の内側に閉じ込められた、このちっぽけな存在、「これ」だけを唯一の自分だと思って生きている私たちには、いきなり「すべてはわたし」と言われたところで、そう簡単にうなずけるものではありませんね。

ところで、慈雲さんは、冒頭のことばに続けて、以下のようなことをおっしゃっています。私は、ここに、「すべてはわたし」という境地への道筋を、確かに見るような気がするのです。

日月を以てわが光明とせば、二六時中暗きことなし。

私たち人間は、太陽がなければ生きていくことができません。月がなくても、生きていくことはできません。雨が降らなくても、風が吹かなくても、木々がなくても、鳥が飛ばなくても、犬が吠えなくても、あの人がいなくても、この人がいなくても……きっと、私たちは、生きていくことはできない、存在することすらできないのです。

こうして、ひとつひとつ、身の回りの事物と自分のいのちとの、切っても切れないつながりを感じていくと……あるとき、「天地を以てわが心」として、絶対的な「安楽」を生きている、ほんとうの自分と出会えるのかもしれません。

ちっぽけな個としての自分を守ろうとビクビクしながら生きていくより、「すべてはわたし」という真実の中で、ゆったりおおらかに笑って生きていく方が、楽しそうですよね。そして、そうやって生きていくことは、考えていたよりも、断然やさしいことだったりして……。そんなことを、しみじみと思っています。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2015年12月20日発行号より転載)