自我はあたまに宿る。仏はおなかに宿る。

2019年3月23日

仏教の経典は「如是我聞(にょぜがもん)」ということばから始まる。「私は仏の教えをこのように聞きました」といった意味。あらためて、面白いことばだな、と思う。

これをわざわざ経典の最初で言うってことは、そこになにか注意して欲しいことがあるから。たぶん、仏の教えを受け取るときは、個別の私の考えをさしはさむな、ってことなんだろう。

これをTANDENメソッド的に言うなら、「仏の教えはあたまで聞くな、おなかで聞け」ってことになるかな。自我はあたまに宿る。仏はおなかに宿る。

「私は(あたまだけで)こう考えました」。「私は(おなかで)こう感じました」。後者のことばに、仏は宿る。

「考える」は「私」がすること。「感じる」は「仏」がすること。「私」のすることはあてにならないけど、「仏」のすることは信頼できる。

「聞く」って、ほんとうは、
圧倒的に受動的な行為なんですよね。

すべての音は、
自分で(能動的に)「聞く」までもなく、
(受動的に)「聞こえている」。

音って、実は、「聞こう」としなくても、
すでに「聞こえている」んですよね。
そういうふうになっている。

まあ、ほんとうは「見る」も「嗅ぐ」も「味わう」も、
ぜんぶぜんぶぜ〜〜〜んぶそうなんですけれど、
「聞く」においては、その事実が、特別わかりやすく現れているな、と。

で、私は、この事実にこそ、
「仏」のあらわれ、「いのち」のあらわれを感じるわけです。

自分がなにかを「為す」までもなく、
すでに、すべては「為されている」。

私がいのちを生きている。
と同時に、
いのちが私を生きている。

で、仏教をはじめとする、すべての本質的な宗教、思想って、
この「いのち」の本来的なあり方を示しているわけですよね。

それなら、仏の教えを「聞く」ときは、
この、すべては「為されている」という態度が
ものすごく大事になってくるんじゃないかな、と。

つまり、「感じる」ことを大切にする、ってこと。
「感じる」って、「聞く」と同様、自分がすることじゃないから。

自分がしていない、ということは、
仏がしている、ということです。

どんな感覚も、「気がついたらここにある」ものでしょう?
すべて、仏によって「為されている」のであって、
そこに自分が入り込む余地なんかないんです。

だから、「いのち」の話を聞くときは、
あたまではなく、おなかで聞くこと。

あたまだけで聞くと、そこには「自分」が入り込んでしまう。
そうなると仏の声が遮られてしまいます。

仏の声は、おなかを通じて私に伝わる。

「如是我聞」深いです。

 

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