【洞山良价】鳥道(ちょうどう)蹤跡(しょうせき)なし

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

旅立ちの季節です。ということで、今回は「立つ鳥あとを濁さず」にも通じるような禅語を選んでみました。このことばを遺された洞山良价(とうざんりょうかい)禅師は、中国曹洞宗の開祖でいらっしゃいます。

鳥が飛び去った後の空には、なにひとつ残りません。ただただ虚空が広がっているばかりです。……と聞くと、「鳥はすごいなあ、えらいなあ」と感心してしまうのですが、実は、私たち人間だって、これとまったく同じ世界を生きているのですよね。

たとえば、数秒前に見たものを、目はそのまま残していますか? 数分前に聞いた音を、耳はそのまま残していますか? 数時間前に食べたものの味を、舌はそのまま残していますか? なにひとつ、残してはいないですよね。すべて、“いまここ”において、縁によって、瞬間ごとに「なにか」が起きてきては、また跡形もなく消えていくだけ……。

ほんとうは、誰一人例外なく、“いまここ”を生きているのですよね。その事実に気づいていても、気づいていなくても、どのみち“いまここ”から離れて生きていくことは決してできない……。つまり、どこまでいっても、仏さまの手のひらの中、なのですね。

跡を残さずに飛び去る鳥の軽やかさ、爽やかさに憧れるより先に、いまここの自分自身の在り様に目を向けてみると、意外な発見があるかもしれません。別れの春に、ふと、そんなことを思いました。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年3月27日発行号より転載)