Templeは、仏教のサイトではありません。

2016年11月12日

おはようございます。小出遥子です。

本日、Temple WebのDialogueコーナー第二弾、
栗生隆子さんとの対話/「めぐり」そのものとしてのいのち
を公開いたしました。

手前味噌ですけれど、しみじみと、いい内容です。
栗生隆子さんの、ご自身の体験を通した「気づき」の語りが、
ほんとうに、ほんとうに素晴らしいんです!
ひとりでも多くの方に、この内容を届くといいな、と思っています。

栗生隆子さんは、発酵生活研究家です。

ん……?
発酵……?
お坊さんじゃないの……?

はい、彼女は、お坊さんではありません(笑)。

いや、このサイト、「Temple」とかいう名前だし、
トップページには仏教のことばがズラリと並んでいるし、
前回のDialogueはお坊さんである松本紹圭さんにご登場いただいたし、
「仏教のサイトなんでしょ?」
と思われても仕方ない部分は多々あるのですが……

が!

Templeは、仏教のサイトではありません。

「仏教のサイトじゃない」ことを、
仏教のことばを使って説明するのもアレなんですが……

仏教には、「指月のたとえ」という、有名なお話があります。
「真実」「真理」を月に見立てるのなら、
「教え」は、月のある方向をさし示す指である、と。

これで言うのなら、仏教だけでなく、
ありとあらゆる本質的な知恵・智慧は、
すべて、月のある方向をさし示す指になりうるのではないか、と。

月にあたるなにかを見出すためのルートって、
たぶん、無数にあるんですよ。

だから、それこそ発酵食づくりから辿り着く人もいれば、
スポーツの世界から辿り着く人もいるでしょう。
あるいは医学の方面から辿り着く人もいるでしょうし、
日常の家事労働から辿り着いてしまう人だっている。
もちろん、仏教からストレートに辿り着く人もたくさんいます。
ほんとうに、無数に用意されている。

Templeというのは、対話を通して、
ひとりひとりが、自分の指の先にあるなにかを見つめていく場です。

そのなにかこそが、
「いのち」と呼ばれるものなのかもしれない。

その指がどんなかたちをしていたって構わない。
月(いのち)をさし示しているのならば、それだけでいいんです。

だから私は、もちろん、お坊さんとも対話をさせていただくけれど、
発酵生活研究家の方とも対話をさせていただくし、
スポーツ関係の方とも対話をさせていただくし、
科学者の方とも対話をさせていただきます。
(なにげに予告……!笑)

そういうことが可能な空間、それ自体をTempleと呼んでもいいかもしれない。

……ということで、Templeは、決して仏教のサイトではありません。
だけど、このあり方自体は、もしかしたら、思いっきり仏教的かもしれないですね。

それが、なんだか、すごく面白いなあって。
他人事のように、面白がっています。

 

よい一日をお過ごしください◎