【空海】生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し

2014年5月14日
イラスト:nihhi

まだあたらしいセミの抜け殻をあちこちで見かけるようになりました。と同時に、力尽きて地面に転がってしまったセミの姿もちらほらと……。命の力強さとはかなさとを、まったく同じ分量で感じる季節ですね。

私たちは、いったいどこから来て、どこへ去っていくのでしょう。昔からある命題ですが、いまだ決着がついていないのは、生まれる前にも、死んだあとにも、そこに「私」がいないからなのではないでしょうか。

なんの前触れもなくこの世界に放り込まれて、なんの相談もなしにこの世からつまみ出されるこの命の正体を、いったい「誰が」明確に知ることができるのでしょうか。

……なんて、少し哲学的なお話になってしまいましたね。

ただ、「私たちはなにも知らない」ということを、ほんとうの意味で知りながら生きるのと、知らないで生きるのとでは、やはり、人生の味わいは変わってくるのかな、とは思っています。仏教が2500年の長きにわたって説き続けていることは、実は、そのあたりのお話に集約されていくのかもしれないな、と。

セミの鳴き声にまみれながら、ふと、そんなことを考えました。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年7月31日発行号より転載)