今回は親鸞聖人のことばを選びました。文字通り「私は一人の弟子も持たない」……つまり「私に弟子は一人もいない」という意味になるのでしょう。
仏さまの前では、みな一様に「なにものでもないもの」です。なにものでもない、完全にフラットな存在であるからこそ、正誤や優劣を競うことなく、仏さまの慈愛の中にくつろいでいられるのです。
そこには当然、「師匠」も「弟子」もありません。みな一様に、「同じ道を歩む仲間」です。
そのことが完全に腑に落ちてはじめて、人間の分別心を離れたところで、「同輩」の存在をこころから尊び、敬うことができるのかもしれません。
ほんとうの意味での「平和な世界」は、そこに広がっているような気がするのです。
(「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年8月21日発行号より転載)