【慈雲】飢え来たれば飯を喫し、困(こん)じ来たれば眠る、悟りて何の益がある。

2014年5月14日
イラスト:nihhiイラスト:nihhi

今回は、江戸時代後期の真言宗僧侶、慈雲尊者のことばを選んでみました。「おなかが空いたらご飯を食べる。疲れがきたらただ眠る。さとりの先に特別に得るものなどない」といったような意味になるでしょうか。

おなかがすくのも、疲れて眠くなるのも、すべて、ごくごく自然に起こってくることです。そこに人間の意志なんか、ほんとうは1ミリだって介在していません。

当たり前に起こってくることを、ただただ当たり前に、受け取るという意識もないままに受け取っていく―― そういった態度が、言うなれば、「さとり」の境地なのでしょう。

そこになんの意味があるのかと問うこともなく、理屈をこねくりまわすこともせず、ただ淡々と、刻々に起こってくることとともにある生き方。これが結局は、一番サステナブルで「生きやすい」道なのかもしれません。

まずは「さとり」とは特別なものである、という思い込みを捨てることからはじめないといけないかもな、と。そんなことを思いました。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年9月11日発行号より転載)