「自分」という感覚のこと。

2016年11月14日

おはようございます。小出遥子です。

今週発売になる拙著、
『教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか』ですが、
この本、帯にババーンと
「32歳仏教女子」
って書いてあるんですよね。

32歳は「女子」なのか……!?
……という疑問はさておいて(笑)
ここで議論の対象にしたいのは「32歳」というところ。

私、ほんとうに32歳だっけ……?

そこが一番の問題なんです。

いや、一応ね、
生まれたのは1984年っていうことになっているし、
その記録もあるのですが……

が。

ふとしたときに現在の年齢を問われたとき、
どうしても、一瞬、間があいてしまうんです。

即座に「32歳です」と答えられない自分がいる。
なんなら「29歳です」と答えてしまいそうな自分もいる。
下手したら「16歳です」と答えてしまいそうに……はさすがにならないけれど(笑)
でも、ついうっかり「16歳です」と答えてしまう人を笑えない気持ちは、ある。

わからないんですよ、自分の年齢が。
ほんとうに、わからない。
それにもかかわらず、「自分」は、間違いなく、ここに、ある。

……ということは、です。

年齢は、実は、「自分」を規定する要素ではない!

ってことになりませんか?

いや、これ、ほんとうなんですよ。
ほんとうに、ほんとうなんですよ。

実験してみましょうか。

たとえば、いま、あなたはそこにいますよね?
「自分」っていう感覚、ありますよね?
わかりますよね? 「自分」っていう感覚。
疑いようもなく、そこにありますよね?

うん。

じゃあ、今度は、1年前のことを思い出してください。
1年前も、疑いようもなく「自分」はいたはずです。
その「自分」という感覚を思い出してください。

今度は、5年前のことを思い出してください。
5年前も、疑いようもなく「自分」はいたはずです。
その「自分」という感覚を思い出してください。

今度は、10年前のことを思い出してください。
10年前も、疑いようもなく「自分」はいたはずです。
その「自分」という感覚を思い出してください。

じゃあ質問です。
その「自分」という感覚、それ自体に、変化はありましたか?

いまと、1年前と、5年前と、10年前、
それぞれに、違う年齢の自分がいたはずですけれど、
そこにある「自分」という感覚、それ自体に、変化はありましたか?

どうですか?

「自分」という感覚それ自体は、
自分が何歳であろうが、1ミリだって変化せずに、
ただ、そこ(ここ)にあったんじゃないですか?

ってことは、ですよ。
年齢は、ほんとうは、なにひとつ「自分」をあらわすものではない!
っていう事実が、これで、証明されてしまったのではないですか?

年齢も、住所も、職業も、家族構成も……
どんどんどんどん移り変わっていきます。

でも、「自分」という感覚だけは、むかしもいまも、
条件に左右されることなく、まったく変わらずに「ここ」にないですか?

その「まったく変わらない自分」に落ち着いてしまえば、
刻一刻と移り変わるあれやこれやに
こころを煩わされることもなくなっていくのでしょう。

そして、それは、思っているよりも難しいことではないのかもしれない。

だって、いま、この瞬間にも、
「自分」という感覚は、
間違いなくここにあるのだから。

 

よい一日をお過ごしください◎