「さとり」≠「境地」や「状態」

2016年11月15日

おはようございます。小出遥子です。

毎日毎日宣伝みたいになってしまって申し訳ないのですが、
今週金曜日に、私の本が出ます。

『教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか』

いやあ……。
我ながらツッコミどころ満載なタイトルだなあ、と思います……。

でも、彼岸寺での連載当時は、大真面目に、
このタイトル通りのことを聞いて回っていたんです。

いま考えると冷や汗ものです。
お坊さんたちを、随分困らせてしまったんじゃないかな、と。

「さとり」ってなんですか

という問いの裏側には

「さとり」とは○○である

と言い切れる「なにか」がきっと存在するのだろう、
という思い込みがあってですね……。

でも、その思い込みは、
やっぱり、思い込みに過ぎなかったんですね。

問いの立て方自体にエラーがあったということです。

よく、「さとりの境地」とかいうことばを聞きますよね。
あるいは、「さとった人はずっとこんな状態を保ったままに生きているのだろう」とか。

でも、「さとり」って、決して「境地」とか「状態」とかではないんです。

だって「境地」や「状態」は、時間軸のある世界のものだから。
どんなに長く続いているように見えても、
それらが「境地」や「状態」である限り、
かならず変化し、流れ去っていきます。

でも、それらが変化し、流れ去るためには、
決して変化せず、流れ去らないものが必要ですよね?

河の流れが「流れ」としてあるためには、
決して流れ去らない「河」それ自体が必要であるように。

私たちが真にさとるべきなのは、その「河」自体の存在であって、
決して「流れ」の中の一滴ではないんだなあ、って。

そして、その流れ去らない「河」は、
いつだってこの私とともにあって、
いまこの瞬間も、静かにすべてを受容しているのだと思います。

「さとり」ってなんですか、という問いに、
「さとり」とは○○である、とことばで答えてしまった瞬間、
それは対象化されて、自分とともにあるものではなくなってしまいます。
つまり、「さとり」ではなくなってしまいます。

そういう意味で、今週金曜日に出る本のタイトルって、
まあ、はっきり言って「むちゃくちゃ」なんですけれど(笑)
でも、これも流れの中で起きてきたことなので……。

ご笑覧いただければさいわいです。

 

よい一日をお過ごしください。