それが「河」です。

2016年11月16日

おはようございます。小出遥子です。

昨日、このBlogで、

なにかが変化し、流れ去るためには、
決して変化せず、流れ去らないものが必要ですよね?

河の流れが「流れ」としてあるためには、
決して流れ去らない「河」それ自体が必要であるように。

私たちが真にさとるべきなのは、その「河」自体の存在であって、
決して「流れ」の中の一滴ではないのではないでしょうか。

そして、その流れ去らない「河」は、
いつだってこの私とともにあって、
いまこの瞬間も、静かにすべてを受容しているのだと思います。

……と書いたのですが、この部分、
ちょっとわかりづらかったかな? と思ったので、
もうちょっとだけ追加で説明します。

実験しちゃった方が早いかな。
ってことで、一昨日書いたものをちょっとなぞりますけれど(笑)

あなたは、いま、そこにいますよね?
PCか、スマホの画面を通して、この文章を読んでいますよね?
「自分」っていう感覚、ありますよね?

うん。

じゃあ、そこにいて、この文章を読んでいる「自分」、
それを規定する「身体感覚」に気づいてください。

たとえば、
みぞおちの奥の少し重苦しい感じとか、
肩から背中にかけての緊張感とか……
「自分」を規定する「身体感覚」っていろいろあると思うんです。

これだ、っていう感覚に、ぼんやりとでも気づけましたか?

はい。

ここで質問です。
その「感覚」に気づいている“自分”は、
もっと言えば、その「感覚」の舞台としての“自分”は、
じゃあ、いったい誰、あるいは、何なのでしょう。

その答えが、私が引用文の中で表現したかった「河」それ自体です。

「河」は、いつだってこの私とともにあって、
いまこの瞬間も、静かにすべてを受容しているんですね……。

……って、ちゃんと追加説明になっていたかどうかは謎ですが、
なにかのヒントになればうれしいな、と思います。

 

よい一日をお過ごしください◎