脳が欲する食べ物と、身体が欲する食べ物って違うよね、って話。

2014年5月19日

昨晩21時過ぎぐらいにこってりとしたアイスクリームを買ってきて、家で食べた。別に全然おなかは空いていなかったのだが、なんとなくハイになって食べてしまったのだ。PCを観ながら、ほとんど味わうこともせずにガツガツガツガツ……。そのせいなのかどうなのか、昨日は胃が重くてなかなか眠れなかった。反省した。アイスを食べたこと、というより、雑に選んで、雑に買って、雑に食べてしまったことに。悪いことをした。これじゃあの子(アイス)も成仏できぬよ。

 

昨日はこのサイトのオープンもあり、めずらしく午後いっぱいインターネットの世界に遊んだから、それで脳みそが興奮していたのだと思う。さらなる刺激が欲しいような状態になって、それでコンビニに走ってしまったのだ。

 

常々考えているのは、首から上が欲する食べ物と、下が欲する食べ物って違うなあ、ってこと。脳と身体、というべきか。脳だけが欲していて、身体は「そ、それはいらないよ~」と叫んでいるようなものっていっぱいある。お酒とか、甘いものとか、乳製品とか、油ものとか。はい、全部大好物です。ガツガツ食べたらあとで肉体にも精神にあまり良くない影響が出ることは分かっていても、脳の欲求はすさまじく、一度それを自分に許可してしまうと、目の色変えて、乱暴に胃の中にものを押し込んでしまう。ほとんど「味わう」ということもしないままに。で、当然のごとく体調を悪くして落ち込む。自己嫌悪。そこから逃れたくてさらに刺激的な食べ物を求め……って完全なる悪循環ですね。「もっと、もっと」ってなるのは、本当には満たされていないから。逆に下手なりに自分で丁寧に作った料理を食べると、たとえそれが味噌汁一杯だけでも、ちゃんと味わって食べることができるし、食後、この上なく満たされたような気分になる。そこで完結できる、というか。

 

そう考えると、脳が欲しているものは、もはや「食物」じゃなくて、単なる「刺激物」なのかもしれない。それで、なんでそれらを求めてしまうかというと、「手っ取り早いから」のひとことに尽きると思う。ただ口に入れるだけで、手っ取り早く、なんらかの味わい=「しあわせらしきもの」が手に入るから。自分がすべきことは、食べ物を口に運び、噛んで、飲み込むだけ。簡単なのだ。

 

でも、それは「しあわせらしきもの」ではあっても、決して「しあわせ」そのものではない。それが証拠に、刺激物がもたらす幸福感は持続しない。口の中に入れて、飲み込むまでの一瞬の快楽。そして決して満たされるということがない。胃袋は満たせても心までは満たせないのだ。「快楽」と「しあわせ」はノットイコールだ。

 

「しあわせ」っていうのは、「これを食べたから」「それを買ったから」「あれをもらったから」って、そういうものでもたらされるようなものではない。「外側の条件に拠らない」っていうのが、本当の「しあわせ」の条件だ。なにがあっても、なにがなくても、「しあわせ」。それが一番強いし、それこそが本物なのだと思う。自分という存在の根っこの部分に関わる「しあわせ」。いま、ここにいる、自分という存在を全肯定できる「しあわせ」。内側からこんこんと泉のように湧き出てくる、決して尽きることのない「しあわせ」。それ以外はみな「しあわせらしきもの」に過ぎないような気がしている。

 

いま、ここで、存在そのものから来る「しあわせ」を感じる以外に、本物なんてないのだろうな。

 

……って、なかなかこれ難しくてですね、どうしたって一瞬の快楽に逃げてしまいがちなこの自分を如何せん、ですよ。本当にねー。日々是反省だ。別に「快楽」そのものがいけないわけじゃないし、たまには脳がよろこぶようなことをしなけりゃやってられないし、まあ全部加減の問題なんですけどね。食べ物の話に限らず、なんでもそうですけど。やりすぎず、適度に……って、人間の成熟度が試されるなあ! そして、いうまでもなく私はまだまだだなあ! いつだって身口意の一致をはかっていたいものです。あはは、ちょっと意味違うか!

 

とりあえず昨晩「快楽」を求めて雑に食べてしまったあのアイスクリームを供養しなくては。えー、アイスクリームさん、本当にごめんなさい。あなたの成仏を心よりお祈りして、般若心経を唱えます。ぶっせつーまーかーはんにゃーはーらーみーたーしんぎょうーかんじーざーぼーざーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじーしょうけんごーうんかいくうどーいっさいくーやくしゃーりーしー――……

 

ちーん。合掌。(リアルぅ~)