「今日も、ラジオ体操がはじまります!」

2014年5月23日

今年のお正月から、毎朝の日課にラジオ体操を組み入れた。お遍路さんを始めて、自分の体力のなさにあらためておののくこととなったからである。DVDやネットじゃなく、昔ながらの小型ラジオをNHKの周波数に合わせ、朝の6時半から「おいっちにー」と真面目にやっている。第一体操、第二体操、合わせてたった10分ほどだけど、真剣にやれば少し汗ばむぐらいの運動量になる。朝に運動をするのは気持ちがいい。「健やかな人」ってやつに、自分がなったような気がする。

 

私は毎朝3~4時に起きて、白湯を飲んだり瞑想したりしたあとに、机に向かって文章を書きはじめる。ちょうど疲れて身体を動かしたくなった頃に、ラジオ体操の時間がくるのがありがたい。だいたいいつも6時25分過ぎに机の隣の棚の上に置いたラジオのスイッチを入れる。天気予報と交通情報が終わると、アナウンサーの、「この後はラジオ体操です」という声が入り、♪チャッチャッチャララー と、おなじみのラジオ体操のオープニング曲が流れてくる。そこでおもむろに立ち上がり、姿勢を正して首を回し、腕を伸ばすなどして、体操の下準備を始めるのだ。

 

その日も、いつものように作業をしつつ、交通情報を聴き流し、さて、そろそろ……と椅子から腰を浮かせた、その瞬間だった。ラジオの中の女性アナウンサーがこう言ったのだ。

 

「時刻は間もなく6時半になります。今日も、ラジオ体操がはじまります!」

 

一見(一聴?)していつもと変わらない言葉だったが、そのほんの少しの違いに、私は「はっ」としたのだった。女性アナウンサーの声は高揚していた。その言葉はよろこびにあふれていた。いや、そう聴いたのは私だけかもしれない。どちらでもいい。とにかく私は、「今日も、ラジオ体操がはじまります!」の一言に、どういうわけか、とてつもない「よろこび」が肚の底から湧き上がってくるのを感じて、不覚にも涙をこぼしてしまったのだ。

 

そうか。今日も、ラジオ体操をはじめられるのだ。ありがたいな。

そんな風に、素直に思ったのだ。

 

毎朝、早起きをさせていただいていること。

文章を書かせていただいていること。

ラジオ体操をさせていただいていること。

好きなことを、好きなように、好きなだけ、させていただいていること。

そのすべてを、やらせていただいていること。

いま、ここで、このからだで、やらせていただいていること。

 

すべてが、とてつもなくありがたいものとして、私の胸に迫ってきた。なにひとつ、当たり前ではないのだと思った。

 

♪あーたーらしーいーあーさがきた きーぼーうのーあーさーだ よーろこーびにむねをひーらけ あーおぞーらあーおーげー ラジオ体操の歌を聴きながらほんの少し窓を開けると、生暖かいような春の雨の匂いがぼわっと入りこんできた。生きている、生かされている―― 雨と涙に煙った視界の向こうに、木々の緑、花々の色彩をまぶしく感じながら、私はただただ、「歓喜」と呼ぶしかない感情に包まれていた。

 

……たかだかラジオ体操ぐらいで大げさだろうか? でも、ほんの時折こういうことがあるから、人生はやめられないのだ。その瞬間は予測できないし、コントロールして起こすこともできない。それはほとんど無意識で、なんの期待もないときに、突然、祝福のようにしてやってくる。こちら側とあちら側(ってなんだ? 神さま? 仏さま? 宇宙さま? アヤシイですねー)の準備が、双方向整ってはじめて、「よろこび」ってやつはやってくるのだ。

 

無条件の「よろこび」。存在そのものを大肯定する「よろこび」。

 

生かされてある「よろこび」を感じながら、私は今日もラジオのスイッチを入れるのだ。