「前世」とか「因果応報」とか。(その3)

2014年6月12日

さて、完結編。「因果応報」「自業自得」からの解脱方法……とかいうと超おおげさですが、こうすれば「業(カルマ)」から少しは自由になれるんじゃないかな~っていうのを書いていきます。

 

 

 

たとえば「あー、仕事つまらん。給料もちっとも上がらないし。かと言って転職活動も面倒だよなー。俺もう結構な歳だしなー」などと言いながら、勤務中の私用でのネットサーフィンが常習となってしまったサラリーマンがいるとします。彼はそれを当然悪いことだと知りつつ、「小さな憂さ晴らし」と称して会社のPCでこそこそとネットをしているわけです。しかし、そんなことで「憂さ」など晴れるわけもなく。それどころか、彼は「やっちゃいけないこと」(つまり「悪」)だとの認識を持ちつつ、ネットに興じているわけですから、当然、「業(カルマ)」はじゃんじゃん積み上がっていきます。

 

「せめて会社がいまの2割増しの給料を払ってくれたら俺も真面目に働くんだけどなー」。そんな彼の願いが叶うことはまずありえないでしょう。「こんなことしてちゃいけないんだよなー」は、そのまま彼の心のブレーキとなり、「2割増しの給料」という現実の実現を阻んでしまうわけです。「勤務中にネットなんかしちゃってる俺が出世できるわけがないんだよな……」と、意識するにしろしないにしろ、自分で自分に強力に呪いをかけてしまうのですね。結果、「仕事はつまらないし、給料も上がらない」という地獄にプラスして「やっちゃいけないことをやり続けている俺」という心の地獄も彼は味わい続けることになるわけです。「因果応報」「自業自得」の典型的な例です。

 

例をもうひとつ挙げます。「やせて綺麗になりたい!」との願望を持ちながら、一日2個はケーキを食べなきゃ気がすまないアラサー女子がいたとします。彼女はケーキを一口食べるごとに「ああ、最悪、また食べちゃった……」と罪悪感を募らせていきます。「やせたい」のに「食べちゃう」。この摩擦が「業(カルマ)」を生みます。結果望むプロポーションを手に入れられないどころか、溜めこんだ「業(カルマ)」はそのまま脂肪へと変貌を遂げ、体重は増える一方。そうしてますます自分に自信が持てなくなる……。これは地獄ですね。「食べること」や「体重が増えること」が地獄なのではなく、「また食べちゃった、最悪」とか「意志の弱い自分、大嫌い」とか思ってしまう摩擦だらけのその心が地獄なのです。

 

 

 

……読んでくださっている方々を朝からどんよりした気分にさせてしまった気がする。ごごごごごめんなさい! 前振りが長すぎましたが(ごめんなさい!)いよいよ「業(カルマ)」の解消法です……!

 

 

 

上記二人(たぶん実際には日本に1億人ぐらいいる)を救う(いや、「救う」のは自分なんですけどね。呪いをかけるのが自分なら、その呪いを解くのも自分なのです)その方法には二種類あって。

 

 

 

ひとつ目は、言うまでもなく「もうしない」っていうこと。これ以上新しい「業(カルマ)」を積まないこと。ただただ「良心」に従った行動に自らを馴染ませていくこと。いや、ほんと言うまでもないっていうか書くまでもないことでしたね、すみません。いや、でもこれ一番の解決法です。上記サラリーマンは、ネットサーフィンをせずに真面目に仕事をすればいいし、アラサー女子はケーキを食べなければいいわけです。

 

って言ってもそう簡単な話じゃないから問題になるわけであり……。じゃあ、なんで「しない」ことを選べないのか。「一瞬の快楽」が欲しいからです。ネットもケーキもお手軽に自分に刺激を与えてくれます。そして一瞬「憂さ」が晴れるような気がしてしまうのです。でも、これはまやかしです。それら外側のものが与えてくれる刺激は「一瞬」にすぎないのです。持続性がない。だから「もっと、もっと」となってしまうわけです。

 

本当の「満足」は外側のものによって与えられるわけではないのです。自分の内側に元々備わっているものなのです。本当はいつだって「いま」「ここ」にあるものなのです。

 

一度、無理やりにでも、自分に「刺激」をもたらす外側のもの(甘いもの、コーヒー、お酒、たばこ、テレビ、ネット、スマホ、カルト宗教などなど……)から自分自身を引きはがしてみれば、実は、それらがもたらしてくれていたものは、「満足」とはほど遠いものだったことに気づくはずです。それに気づいてしまえば、「業(カルマ)」を生む行動を自分で制限できるようになります。

 

なんだかいつの間にやら話が「依存」の問題に取って代わっているような気がしますが……「やめたいけどやめられない」っていうのがその人を一番苦しめる=心の葛藤を生む=カルマを生む、そんな話だと思いますので、例としてあげました。

 

そして、ここがもうひとつ大事なポイントなのですが、「いま」「ここ」にある、本当の「満足」を味わえば、その瞬間に、いままで積んできた「業(カルマ)」も解消されていきます。「業(カルマ)」は時間という幻想の産物だからです。

 

(本当の「満足」を味わう方法としては……とか言い出すときりがなくなるのでこの辺にしておきますが、私自身は瞑想という方法をお勧めします。「なにがなくてもしあわせ」ってこういうことか! って分かるためには、瞑想が一番手っ取り早い気がするのです。)

 

 

 

で、ふたつ目の方法。それは、「やってしまった自分」を受けいれること。ゆるさなくてもいいんです、ただ、一度、受けいれる。「勤務中にネットしちゃった自分」を受けいれる。「ダイエット中なのにケーキを2個も食べちゃった自分」を受けいれる。一切の判断をせずに、ただただ「受けいれる」のです。

 

さんざん書いてきたけど、「業(カルマ)」は自分の心の摩擦によって生まれるのです。それならばこれ以上摩擦を起こさないようにすればいい。やってしまったことをぐだぐだ考えて、自分の心を目の粗いサンドペーパーでザーリザーリやってちゃ、いつまで経っても「業(カルマ)」からは解放されませんよね。

 

だめな自分も受けいれる。「ははは、またやっちゃったんだね~」ぐらいの気持ちで軽く流す。そう「流す」こと。自分に、そして自分のやった行動に「とらわれない」こと。そうすれば解放は始まっていきます。ネットやケーキへと自分を駆り立てていた小さな「憂さ」たちが少しずつ消えていきます。これが続けば、いつしかそれらの行為自体から自由になることでしょう。

 

 

 

自分を癒すのは、いつだって自分なのです。

自分しかいないのです。

 

 

 

以上、「業(カルマ)」の解消法講座でした。

 

 

 

……なんか詰め込み過ぎた上に、「○○なのです」とか言って、私、偉そう……! ごごごごごめんなさい! 私も日々是修行、なのですが、一応自分がいままで生きてきた中で、幾たびも地獄の「業」火に焼かれつつ、それでも「あ、いま、ちょっと自由になった」「楽になった」「こうすればよかったのか」と思った瞬間のことを思い出して書きました。なにかのお役に立てれば……。

 

 

 

それしても、本当に赤ん坊や犬や猫などの動物たちは「業(カルマ)」からは自由だよなーと思います。一切の流れに逆らっていない。自分の心の赴くままに生きている。「自分をこう見せたい」とか「もっとお金を稼ぎたい」とかの、変な「意識」が皆無。現世において「因果応報」や「自業自得」から自由なのって、彼らぐらいなんじゃないかな。つまり彼らは「ブッダ」ってこと。見習うべき点、いっぱいありますね……。

 

 

 

うーん、こんなに長くするつもりはなかったんだけどなー。まあいいや! ははは! カルマを生まないためには執着しないことが大事って上にも書いてあるし……!

 

長々お付き合いいただき、ありがとうございました。明日からは通常営業に戻ります!