本当のアートって?

2014年6月15日

先日、新生キリンジ(正式表記はKIRINJI……キリンジとは別バンドなのですね)のビルボードライブに行ってきた。それで思った。私はもう、複数人バンドのキリンジを、完全に好きになってしまっているな、と。かと言って恋をするような強烈な感じではなく……ただただ静かに、愛をもって、一緒に歩ませていただきます、という感じかな。ってなんだか偉そうですね。

 

2012年の秋に弟・泰行さんのキリンジ脱退のニュースを聞いたときには、それはもう、大変な喪失感に苦しめられた。兄・高樹さんの素晴らしくも変態的な(褒めてます!)楽曲に、泰行さんがあの素晴らしくも少しひねくれた(褒めてます!)歌声をのせる……その奇跡のハーモニーを、私は愛して止まなかったからだ。これ以上好きになれるバンドは生涯現れまいと確信していた。兄弟バンドの終焉は、そのまま「キリンジ」という名の奇跡の終焉に他ならない……。あの秋の私は、ほとんど失恋した人のようにズタズタに傷のついた心を抱えて生きていた。本当に苦しかった。

 

でも、奇跡は続いていた。形を変えて、ばっちり続いていた。KIRINJIは、信じられないほどのきらめきを、いっぱいいっぱい私の眼前に突き付けてくれた。「見ろ!」「どうだ!」と言わんばかりの迫力で、「これでもか!」「これでもか!」と。

 

本当に素晴らしいバンドだと思った。KIRINJIという名のバンドのきらきらとした船出に、拍手喝采だった。

 

いや、同様のきらめきは、きっと、以前からあったのだ。ただ、私の目が死んでいて、それに気づけなかっただけなのだ。

 

KIRINJIは、「キリンジ」ののれんを引き継いだ高樹さんを中心に、個々ですでに活躍されているアーティストさんたちが組んだバンドだ。私は音楽には全然詳しくないので、鍵盤のコトリンゴさんは知っていたが(というか彼女に関しては前々からファンだった)、他の方々のことは、失礼ながらほとんど存じ上げない状態でライブに行った。

 

そんな私でも「この人たち、すごい……!」と本気で思ってしまうほど、個々の演奏力が高いことは一聴して分かった。ステージにいる全員が、ひとり残らず、光を放っていた。

 

光を放っていた……?

 

いや、私が、光を当てていたのかもしれない。

 

バンドだから、全員を見て、全員の演奏を聴くのは当たり前なのだが、兄弟バンド時代のキリンジのライブでは、後ろにものすごい職人さんが複数名いたにもかかわらず、私は、フロントに立つ二人にしか注目していなかったのだ。音だってちゃんと聴けていたのか定かではない。

 

キリンジのサウンドは、堀込兄弟だけが作っていたわけではないのに、どうしたって「キリンジのメンバー」として前に立つ二人にしか光を当てることができなかった。

 

でも今回は、ちゃんと全員に光を当てられた。バンドとして、全員の音を聴くことができた。そうやって全身でその空間まるごとを楽しむようにしたら、いつしか、きらきらした大きな光にすっぽりと包まれている自分を発見したのだった。いや、光っていたのは自分自身か? バンドメンバーだけじゃない、ライブスタッフさん、開場のスタッフさん、そして私を含む観客全員がひとり残らず光って、きらきらとしたひとつのかたまりになっていることに気がついたのだ。そして、そのひとりひとりの背後にいる人たち、いまこの会場にいない、無数の人たちの姿まで浮かんできた。そしてそのひとりひとりがまた光って、会場を越え、六本木を越え、東京を越え、日本を越え、やがて無限の大きさになって……

 

びっくりした。

 

音楽って、アートって、それが持つ力って、こういうものなんだと思った。

ひとりひとりの光を全体にまで広げてしまう力。

そうやってすべてを強引にひとつにしてしまう力。

いや、私たちは、そもそもひとつであったことを思い出させる力。

 

たとえばツイッターでの何気ない一言だって、本当はその人ひとりが放ったものではない、と考えることもできる。その人が、その時間、その言葉のチョイスで、タイムラインに放った言葉の裏には、考えられないぐらいたくさんの出来事や人たちが関わっている。本当は、その人は、その最後の瞬間に関わっていただけなのだ。最後の部分だけを切り取ったものが、タイムラインには並んでいる。「その人の」言葉として並んでいる。でもそれは錯覚だ。その人「だけ」の言葉なんて、本当は存在しないのだ。

 

この世界は一枚の布として織りなされている。ただ、それのどこに光を当てるかによって、物語がまったく変わってきてしまう。

 

私たちは、ひとりひとり、小さなスポットライトを持って、光でもって本来は一枚であるはずの布を切り取って、視野を狭くして、光の当たる範囲だけ、独自の物語の中だけで生きている。

 

でも、本当は、ぜんぶがつながっている。私たちは、ひとり残らず紡がれている。それは静かで、穏やかで、明るくもなく、暗くもなく、ただただ心地よくたゆたっている……。

 

それに気づかせてくれるものを、本当の「アート」と呼ぶのだろう。

 

本当のアートを見た気がした、そんな満月の夜だった。

 

 

 

KIRINJIのみなさま、アートをみせていただいて、ありがとうございました。