誰でもなく、なにでもなく。

2014年6月22日

昨日の記事、「何にでもなれる。」をお読みいただいた方から、こんなご感想をいただいた。本当に素晴らしいご感想だったのでご紹介いたします。

 

 

 

「おれが感じたのは、みんな演じている、ということ。ほんとうは誰でもないんだけど、その役を演じている。でもその役を自分だと思いこんでしまっているということ。その役を自分だと思いこむと、苦しいこともあるんじゃないかと。役割をまっとうしつつ、役割は役割と知ることじゃないかな。ほんとうは父でも息子でも兄でも弟でもなく社長でもなく誰でもないと知ることが大事なんだなと、そんなことを思ったよ。」

 

 

 

本当に、まったくこの通りで。昨日書いたこととまったく同じことを、真逆の視点から見事にあらわしてくださったな、という感じなのですが。

 

 

 

「役割をまっとうしつつ、役割は役割と知ること」

 

これはすごく重要な態度で、というか、そこにしか真の「生」はないんじゃないかな、と思っています。

 

 

 

自分は、本当は誰でもない、なにでもない存在なんだと知ること。

その上で、自分が「自分で選んで」役割を果たしているのだと自覚すること。

 

力が抜けていて、それでいて肚にエネルギーがこもっていて。

その人がその人として、一番に輝ける状態がこれなんじゃないかな。

 

 

 

でも、誰でもなく、なにでもない自分を「知る」ためには、昨日書いたように、一度「やり切る」っていうことが大切なんですよね。やってやってやり切って、そして最後に一気に力を抜く。緊張と弛緩のバランスのはざまに、「知る」べきことが立ちあらわれてくる……。

 

 

 

自分がいまやっている役割は「役割」でしかなくて、決して自分のすべてではない。

でも、いまは、自分がやりたくて、自分で選択して、それをやっている。

それならば、肚をくくって、一度しっかりやり切ってやろうじゃないの~。

 

そんな気持ちで地に足をつけてぐっと顔を上げた瞬間から、本当の「生」ははじまっていくのだと思います。