「悩み」を断捨離する。

2014年6月28日

「その時になったら、その時の自分がなんとかしてくれるさ~」

 

最近の私の合言葉である。

 

そう、私は、将来の自分に対する悩みってやつを、人生から断捨離してやろうと思っているのである。

 

いや、昔からよく言われるように、「悩み・苦しみは人生のスパイス」、「悩み・苦しみがあるからこそ……」的な部分は確かにある。それは認める。影が濃ければ光も強い。完全にそれらを人生から排除してしまうつもりはないし、そんなことはどんな人間にだってできないだろう。でも、必要以上に悩みにとりつかれて、「いま」というものをないがしろにしてしまうのも、阿呆らしい話だな、と思ったのである。それこそ本末転倒だよな、と。

 

 

 

どうして「未だ来ていないなにか」に心がとらわれてしまうかというと、ひとえに「(未来の)自分を信頼できないから」である。「その時が来れば、その時の自分がなんとかするだろう」と思うことができないから不安になる。「いま」の自分が考えて考えて考えることによって、「未来」の自分をサポートしてやらねば……なんて考えて、それで「悩み」を手放せない。

 

でも、どんなに「いま」の自分が不安になって、どうしようかと考えて、考えて考えて考えて、頭でこねくり回して、結論らしきものをどうにかこうにかひねり出したところで、実は、「未来」の自分には一切関係がなかったりするのだ。言うまでもなく、人生には「いま」しかないから。「その時」が「いま」となった時(変な日本語だ)の自分しか、実際に目の前のことを「どうにかできる」人間はいないのだ。

 

 

「その時の自分がぜったいになんとかしてくれる!」そう思いこんで、「いま」を「いま」として楽しむ。本当にはそれしかやれることはない。

 

もちろん、過去からの教訓を胸に刻むことは大事だし、それをもとに未来への対策を練ることも必要な作業だ。でもそれに時間をかけすぎると、「いま」しかない人生が、「まだ起きていない、なにかよからぬこと」への不安というもののトーンに支配されてしまう。

 

 

 

やるべきことを考えなくてはいけないときは、時間を決めて取り掛かる。30分でも2時間でも、近くのカフェにノートを持っていって、真剣に自分会議をする。その時間内に答えを出してやる、という気迫で臨む。

 

時間が来たら、答えが出ても出なくても、それ以上考えるのはやめる。どのみち頭で考え続けたところで結論なんて出やしないのだ。本当に「その時になってみないとわからない」ことしかないのだ。じゃあなんでこういうことをしたかというと、そうでもしないと「いま」の自分が納得しないから。納得しないことには忘れられないから。

 

一度真剣に考えて、「いま」の自分を納得させた上で、そのことを頭から追い出してしまう。するとある時、ぜんぜん関係ない瞬間にインスピレーションのような形で「答え」がやってくる。それをキャッチしたら「いま」の自分の仕事は終わり。あとはリラックスして、「その時の自分」にすべてをお任せする。

 

そうやってしか物事は進んでいかない。

 

それでもどうしても考えることをやめられないときは、「ああ、自分はいま、このことについて考えたいのだな」ということを自分でしっかりと認めて、主体的に考えること。なんとなく、「自分の意志に反して」考えさせられ続けているような気分になるから、考えることが苦しくなるのであって、「自分で選んで」考えているのだ、ということを認めてしまえば、少し気が楽になって、肩の力が抜ける。その時がチャンスだ。ふわっとリラックスしたところに、答えはやってくる。

 

そう、答えはひねり出すものではなく、やってくるものなのだ。人間にできることは、その答えがやってきやすい状態を整えるだけ。「いま」をリラックスして生きることだけ。

 

 

 

「その時になったら、その時の自分がなんとかしてくれるさ。考えても仕方ない。いい匂いの入浴剤を入れたお風呂に浸かって、お笑いのDVDでも見て、今日はさっさと寝てしまおう。」そんな風に考えて、「いま」を楽しむことに徹した人の方が、深刻そうに青白い顔をして肩で息をして「未来」のことを考え続けていた人よりも、結果、なんだかうまく行っているのを良く見るのだ。悩み続けるのが馬鹿らしくなるではないか。

 

好みの問題だとは思うけれど、それならば私は、「いま」をリラックスして生きることを選びたい。

 

雨の土曜日。できるだけリラックスして、「いま」を生きていきたいですね。