一隅を照らす。

2014年6月29日

天台宗の開祖である最澄さんの言葉に「一隅(いちぐう)を照(て)らす」というものがある。「一隅」とは、いま自分がいる場所や置かれた立場のこと。いま、自分が置かれた場所で、できることをやり切って、自らを光を放って生きていきましょう、という意味なのだろう。いい言葉だな、と思う。

 

昨日、茨城県最北端の、「超」がつくほど山奥のお寺に、ご縁があってお参りさせていただいた。友人夫婦の車に乗せていただいてのお参りだったのだが、徒歩で行くとしたら、最寄のバス停から約2時間、人気のない山道をえんえん登り続けなくてはならない。そんな辺鄙なところに建つ、あまりにもひっそりとした、寂しげなお寺だった。

 

「私たち以外誰もこないよ、こんな山奥!」などと軽口を叩きながら門をくぐると、北関東なまりの強い、物腰柔らかなご住職があたたかく迎えてくださった。ご住職の笑顔を見た瞬間、来てよかった、と思った。彼は終始にこやかに、お寺の歴史や、その辺りの気候について解説してくださった。筑波山よりも高い標高に建つお寺の周囲は、冬になるとマイナス20度まで下がるらしい。

 

「誰もいらっしゃらないかもしれないけど、誰かがいらっしゃるかもしれないから、毎日開けているんです」

 

そう言って歯を見せて笑った、還暦はとうに越えているだろうご住職の後ろには、「一隅を照らす」の文字が書かれたポスターが貼られていた。

 

 

 

少し前に、『置かれた場所で咲きなさい』という本が大ヒットしていたが、それも、この「一隅を照らす」とまったく同じ意味なのだろう。いま自分がいる場所で、懸命にやれることをやっていくこと。自分の半径1メートルをまずは照らしていくこと。

 

私には、なにができるだろうか。

 

私には……。

 

 

 

私の「一隅を照らす」は、ブログを毎朝更新すること。

 

毎朝、誰よりも早く起きて、ひとりPCに向かい、ひっそりと文字を重ねていくこと。内容はまあアレだとしても(修行します……!)少なくとも、通常のタイムスケジュールで生きていらっしゃる方々が、一日のどの時間帯にアクセスしたとしても、何かしらの新しい文章が必ずそこにアップされているというのは、もしかしたら、自分が思っている以上に、頼もしいことなのかもしれない……。

 

そんなことを思うと、どんなに寝不足でも、だるくても、身体が自然と布団をはねのけて、机に向かうようになるから不思議なものだ。

 

もちろん、自分自身の楽しみというのが一番大きいけれど、それ以外のもっと強く、もっとやさしく、もっとあたたかな気持ちも芽生えつつある自分に気づき始めた昨今である。

 

 

 

あなたの「一隅を照らす」はなんですか?