悟りと宇宙

2014年6月30日

ごく最近、一回り年上の、新しい友人ができた。昨日、彼からこんなメールが届いた。

 

「人は自分の外の現象を理解しようと物理学を発展させていますが、それは実は自分自身の探究にほかならない。望遠鏡や顕微鏡をのぞいたら、そこに映っていたものは自分だったというオチ。“悟り”とは誰かが用意したこのオチに気づくことだと思っています。」

 

 

 

「自己紹介代わりに」と、こんなメールをくれた彼は、現在、社会人として働きながら、大学で宇宙物理学なる学問を修めているらしい。

 

ブラックホールってそもそもなんなんですか? というあまりにも漠然とした質問に、彼は「鉄の原子」やら「引力」やら「光の速さ」やら「核融合」やらのサイエンス用語を随所に用いながらも、このド文系人間にもわかるように、丁寧に解説をしてくれた。ものすご~くわかりやすかった。ブラックホールは各銀河にひとつずつ、必ず存在しているのだと言う。

 

「じゃあ、もしかして、この、ひとりひとりの人間の中にも……“私”の中にも、ブラックホール的なものはあるんでしょうか?」

 

そう言うと、彼は即座に「そうですよ」と力強く頷いてくれた。思わず、小さく飛び跳ねてしまった。私自身が宇宙そのものだなんて、あまりにも素敵な話ではないか。

 

 

 

私は理系の学問から逃げて逃げて逃げまくって生きてきた超感覚的な人間ではあるが、自分が普段、漠然と感じている「本当の世界の仕組み」のようなものを、サイエンスの人たちが数式に置き換えて、目に見えるものとしてこの世に表してくれることが、本当に嬉しくてたまらないのだ。偉そうだが「ほら、やっぱり! だから言ったでしょう!?」なんていう風に思ってしまうのだ。うん、やっぱり偉そうですね……!

 

宇宙の果てで起こっていることと、人間の体の中の一番小さな細胞で起こっていることが一緒だったり(銀河の写真と、脳内神経細胞の写真がそっくりなんていうのは有名な話ですね)、曼荼羅をぼんやりと眺めているうちに、宇宙の成り立ちを確信してしまったり……。

 

「望遠鏡や顕微鏡をのぞいたら、そこに映っていたものは自分だったというオチ。“悟り”とは誰かが用意したこのオチに気づくこと」

 

言い得て妙だと思う。

 

 

 

宇宙の正体は自分だし、自分は宇宙そのもの。

 

この、誰か(本当は自分自身)が仕掛けた壮大な冗談を、冗談だと見抜いた瞬間を、“悟り”と呼ぶのだろう。

 

そして“悟り”はぜんぜん特別なことじゃなくって、本当に、誰にでも訪れるものなのだと思う。だって、「それ」の正体は、他でもない、自分自身なのだから。自分自身が「それ」であったことを、「思い出す」だけで良いのだから。

 

思い出したら、楽になるんじゃないかな~。

 

 

 

月曜の朝から話が壮大すぎてすみません……! 宇宙の仕組みをあらわした「曼荼羅」ってものについても解説しようかと思いましたが、長くなりそうなので、それはまたいつか。