回り道はあっても、間違った道はない。

2014年7月3日

行く末に 宿をそことも 定めねば 踏み迷うべき 道もなきかな (一休禅師)

 

 

 

ずっと追いかけ続けていた個人的な夢、もしかしたらもう少しで叶うかも……! と希望で胸を膨らませ続けていたとある案件が、おそらく、あと数年は待たないと実現しないであろうことが、ここのところいよいよ明確になってきて、実は最近、ちょっと落ち込んでいた。

 

鼻先にぶら下がっていると思っていたにんじんが、実は数百メートル先にあったような……。にんじん自体が消えてしまったわけではないのだが、「あともう少しで食べられる!」と大喜びで突っ走ってきた年月が、なんだかひどく空しくなってしまった。足は止まってはいないものの、前のようなスピードに、またイチから体を慣らしていくのが、少しだけ……いや、かなり、おっくうだった。

 

 

 

そんな中、書店で売られていた本の中に、こんな一文を見つけた。

 

「人生には、回り道はあっても、間違った道はない」

 

目にした瞬間、素直に、ああ、そうだな、と思った。いつもだったら「説教くせ~」と顔を背けてしまうようなこんな言葉が、そのときの私にはやけに光って見えた。これは私の蜘蛛の糸だと思った。

 

 

 

「いま」しかない、「いま」だけが大事、「いま」に徹する……などなど、このブログでも偉そうに繰り返し繰り返し言ってきたが、自分自身、「未来」を夢に見すぎていたところがあったのだ。だから、それがいますぐには叶わないことを知って、必要以上にがっかりしてしまったのだろう。

 

あーあ……。私、ぜんぜん「いま」にいられていないじゃん……。修行が足りていないなあ……。

 

 

 

冒頭に挙げた一休さんの歌が身にしみる。「ぜったいにこうでなきゃ!」なんていう「宿」(=目的地)を設定しなければ、どんな道を通ったとしても「どうしよう。迷った。間違った」などと思わずにいられる。いつだって自分の歩く道が大正解。肩肘張らず、気楽に行きましょう――

 

これほどまでに、「いま」を味わうことの大切さを、的確に、そして簡潔にあらわした歌を、私はほかに知らない。

 

「いま」目の前に広がる景色を楽しみ続けること。ただそれだけ。そもそも人生に目的地などない。ただ、「いま」を味わい尽くすだけ。それだけ。

 

一休さんが至ったのであろう果てしなく清々しい境地に、私の心にも爽やかな風が吹いてくるようだ。少しだけ、視野が広くなる。呼吸が楽になる。一休さん、ありがとう。

 

 

 

大学受験に失敗して、浪人生活を余儀なくされたとき。予備校講師が、最初の授業の冒頭でこんなことを言った。

 

「君たちは、確かに、一本電車を見送ることになった。でも、ホームに立っているうちに、線路の向こう側に咲いた野花の美しさに気づくこともあるかもしれない。地面の匂いを思いっきり味わうこともあるかもしれない。吹き渡ってくるそよ風を頬に気持ち良く受けることだってあるかもしれない。いま、この状況でしか見えない、感じられない景色は必ずある。それを楽しんでください。」

 

 

 

また、がんばろう、と思う。