壁の中と、壁の外 ―少年刑務所詩集を読んで―

2014年7月4日

「くも」

 

空が青いから白をえらんだのです

 

 

 

「夏の防波堤」

 

夕方 紺色に光る海の中で

大きい魚が小魚を追いかけているところを

見ました

鰯の群れが海の表面をパチパチと

音を立てて逃げていきました

 

 

 

「雨と青空」

 

ざんざんぶりの雨のなか

水玉のカサをさして

花柄のスカートが少し濡れて

かわいくって 恋におちました

 

窓から見える 青い空

ぼくの好きな人も 見ているかな

 

 

 

(『空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集―』寮美千子編 新潮文庫 より)

 

 

 

 

 

三編目の詩の中に出てくる「窓」。この窓には頑丈な鉄格子がはめられている。そう、これらの詩は、いずれも受刑中の少年たちが作ったものなのだ。

 

奈良にはかなりの頻度で行っているが、まさかあの大好きな東大寺と奈良県庁の間の道を、京都方面にもう少し進んだところに、レンガ造りの古めかしい少年刑務所が建っているなどとは思いもしなかった。江戸時代の遊女の駆け込み寺があったり、ハンセン病の方々の救済施設が残っていたり……その辺りは、昔から、社会的に弱い立場に置かれがちな方々を迎え入れ続けてきた土地であるらしい。

 

 

 

この詩集をはじめて読んだときの衝撃は忘れられない。あまりにもやわらかく、素直で、そして、あらゆる意味で「ふつう」な言葉たちの羅列……。

 

壁の中に生きる子たちと、壁の外にいる私たちと、いったいなにが違うというのだろう。

 

なにも違わないじゃないか。

 

そう、強く思ったものだった。

 

 

 

犯罪者というのは、「引き受けてしまった人」のことなんじゃないかな、と最近の私は思っている。事件の際、たまたま「その位置」にいてしまった人。「その役割」を、演じてしまった人。引き受けてしまった人。

 

 

 

先日も近くのコンビニにて、こんな光景を見かけた。日曜の15時ぐらいのことだった。外は土砂降りの雨だった。レジにはそのとき、気の弱そうな青年が一人だけだった。彼は新人さんであるらしく、何度も何度もレジを打ち間違えては、大汗をかきながら「すみません、すみません」と頭を下げていた。レジにはすでに5人以上の人が並んでいた。列の一番最後にカロリーの高そうなお弁当を持って並んでいたスーツ姿の中年のおじさんは、はじめから、ものすごく不機嫌だった。彼のスーツの裾は、雨でぐちゃぐちゃに濡れていた。遅々として進まないレジに苛立ってか、立ったまま激しく貧乏ゆすりをしたり、聞えよがしに何度も大きな音で舌打ちをしたりしていた。

 

しばらくして、ようやくおじさんの番になった瞬間、彼は突然、店員さんに向かって大声でどなり散らした。「こっちゃあかなり疲れてんだよ! 休日出勤なんだよ! 腹も減ってんだよ! 散々待たせやがって! おい、謝れよ、俺に!」店中の人たちの視線がレジに注がれた。店員さんは、可哀想に、真っ青な顔をして、「すみません、申し訳ございません」と、何度も何度も頭を下げている……。

 

店員さんの細い肩に、「謝らなくていいよ!」と声をかけてあげたくなった。店員さんはぜんぜん悪くない。悪いのは大人気ないおじさんと、その時間帯を新人さんひとりに任せた店側のシステムと、それとこの大雨と……

 

……と、ここまで考えて、いや、これも全部、私が考えたストーリーでしかないな、と思い直した。

 

本当は、誰もが悪いし、誰もが悪くないのだ。

 

いろんな「たまたま」が重なって、その「事件」は起きた。たまたまその時間帯にお客さんが多くて、たまたまそこに疲れて機嫌の悪いおじさんが入ってきて、しかも彼は雨に濡れていて、店にはたまたま不慣れな新人店員さんしかいなくて、たまたま彼がおじさんの八つ当たりの対象となってしまった……。それだけの話なのだろう。

 

それに、そのおじさんがコンビニに入ってくるまでのことも考えなくてはならない。彼はどうして休日出勤をするはめになったのか。先代の社長から会社を引き継いだ息子に商才がなくて、経営が傾いているのかもしれない。彼はどうしてその時間帯にそのコンビニに来ることになったのか。昼前に受けたクレームの電話が長引いたのかもしれない。そもそも、なぜ彼は、コンビニでお弁当を買っているのか。奥さんがお弁当を作ってくれなかったのかもしれない。

 

コンビニでおじさんが新人店員に向かって怒鳴り散らしたその原因は、じゃあ、商才のない社長の息子ということになるのか? クレーム電話をかけてきたおばちゃんか? お弁当を作ってくれなかった奥さんか?

 

……などということを考えていくと、「誰が悪いのか」なとど考えるのが、馬鹿らしくなってはこないだろうか。

 

 

 

幾多もの因果の糸が複雑に絡まりあって、この世は成り立っている。その一部分、一瞬間だけを写真機のようなもので切り出して、この人が悪い、あの人が悪いと、その場にたまたま生じた出来事に「罪」という名前をつけて、責任をなすりつけ合っては、傷をつけ合って、行き場のないもやもやを抱えて、生きていくことにさらに息苦しくなって……

 

私たちは、毎日、そんなことばかりをやっている気がする。

 

 

 

誰が悪いのかと言えば全員悪いのだし、誰も悪くないと言えば、それもまた真実なのだと思う。

 

 

 

刑務所に入っている人たちが犯したひとつひとつの「罪」に、まったく関わりがない人など、この世に存在しているのだろうか。因果関係を逆に辿っていく過程の中に、一度たりとも登場しない人など、いるのだろうか。

 

 

 

もちろん、言うまでもなく、犯罪は良くないものだ。社会を平和に保つためのルールを破ってしまった人たちは、しかるべき報いを受けなくてはならない。最後のラインの衝動を抑えることができなかったという部分では、その人たちに圧倒的な落ち度はある。

 

でも、すべての責任を「犯罪者」と呼ばれる人たちになすりつけて、それでいい気になるようなことは、私はしたくないのだ。

 

レンガ造りの分厚い壁の中にいたのは、私たち自身かもしれないのだ。

 

 

 

ざんざんぶりの雨の中、濡れた花柄のスカートを切なく見つめた少年の心が、私の中で「キュウ」と鳴いた。

 

同じ心を持っているのだ。