バベルの塔

2014年7月12日

先日、東京都心の高層ビル群を写真に撮ったものを何気なく眺めていたとき、かつて覚えたことのない恐怖感と違和感、そして寂寥感が足元からぞわぞわと立ち上ってきて、ふいに泣き出したくなった。

 

こんなものが林立しているのは、ぜったいにおかしい。どうしてこうなっちゃったんだろう……。そう思ったのだ。

 

高層ビルのひとつひとつから、「俺が!」「私の!」「こっちの方が!」の怒鳴り声が聞こえてくるような気がした。高層ビルというのは、(もちろん少ない土地を有効に使うためにそうせざるを得なかったという側面もあるのかもしれないが……)その成り立ちからして、ものすごく不自然なものだと思ったのだ。「競争社会」をベースにして建てられたものたちの悲しい声……。

 

「こっちの方が天に近い!」「だからこっちの方が偉いんだ!」「どうだ、すごいだろう!」

 

寂しいな、と思ったのだ。

 

競争の果てに、一体なにがあるというのだろう。

 

認めて欲しくて、認められなくて。認められてもまだ足りなくて。どんどんどんどん「上」の方へ。地を顧みることもせずに、上へ上へ上へ……。

 

真の意味で自分を認めてあげる役割を持っているのは、自分だけだというのに。

 

 

 

「地」を司る地蔵菩薩が現世仏として遣わされていることに思いを馳せてみても、高層ビルというものが、いかに不自然な存在であるかが見えてくる。

 

地に産まれ、地に還っていく存在は、その「生」全体も、地に根差したものでなくてはならないのだと思う。現世においての私たちの生活は、いつだって土と密着しているべきなのだ。

 

 

 

震災ののち、私は、どうしても地面の見える場所に行きたくなった。そこで裸足になって、思いっきり土を踏んで歩きたい。土の上に寝転がって、土まみれになって、そこから、その地平から、思いっきりこの地を見つめてみたい。その衝動が体全体を支配した。だけど、仕事を言い訳にして、結局東京にとどまり続けた。

 

あの時、無理やりにでもそれを実行に移しておけばよかった。いまでもそう思う。

 

 

 

バベルの塔の崩壊はとうの昔から始まっている。さっと地面に降り立って、そこにすべてを任せた生活を始めるべきときがきているような気がしている。

 

 

 

「俺の方が偉い!」「私の方がすごい!」そんな風に鼻息荒く「天」を目指し続ける時代はもう終わった。いまこそ転換のときなのだと思う。

 

みんなが同じ地面に立って、上も下もなく、まったく同じ地平から、すべてを眺めて生きていければいい。

 

よろこびに溢れた世界が、そこには待っていると思うのだ。