「表現」ということ。

2014年7月22日

 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面が忽ち浮き上がってきた。その刀の入れ方が如何にも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挟んでおらん様に見えた。

「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」と云った。

 

(『文鳥・夢十夜』「夢十夜」より 夏目漱石著 新潮文庫)

 

 

 

奈良市から南東方向に電車で1時間ほど行き、さらにバスやタクシーで20分ほど進んだ山奥に、室生寺という有名なお寺が建っている。国宝・重文級の仏像が目白押し、かつ、「女人高野」の名にふさわしい、たおやかながらどこかぴりっとした境内全体の雰囲気も大好きで、アクセスの悪さもものともせず、足しげく通っている。

 

今年の春の来訪時、いつものように熱心に国宝の釈迦如来坐像を拝んでいた私に、ボランティアの解説員の男性が話しかけてきてくださった。

 

「お釈迦さまの胸元を見てください。丸い年輪が、二つ浮き出ているでしょう? あの像は一本の木だけで作られているから、あんなことになるのは珍しい……というか、ありえないことなんです。」

 

薄暗いお堂で目をこらしてみると、なるほど、お釈迦さまの胸元には、みぞおちを中心に、ほとんど左右対称に、くっきりと年輪が浮かび上がっていた。それがお釈迦さまのやわらかな雰囲気を演出するのに一役買っている。

 

その男性いわく、お釈迦さまの鼻の部分と、さらに結跏趺坐で上になっている方の足の裏にも、5本の指すべてと、親指の下のふくらんだ部分にも、ちょうど指紋のように年輪が浮かび上がっているのだと言う。

 

鳥肌が立った。木というものの特性を考えてみれば、それがいかに「ありえない」ことであるのか一瞬で理解できる。

 

それなのに、なぜ「そのように」なっているのか……。

 

木から仏像が作られたのではない。

 

木の中から仏さまが現れ出ただけなのだ。

 

そんな風に思った。

 

 

 

その時はお釈迦さまとの距離が遠かったし、お堂自体も薄暗かったので、実際に鼻先と足元の年輪は自分の目では確認することはできなかったのだが、昨日、ついに実物を見ることができた。仙台市博物館にて開催中の「東日本大震災復興祈念特別展 奈良・国宝 室生寺の仏たち」では、ガラスケース越しではあるが、かなりの至近距離でお釈迦さまと対峙できるのだった。

 

間近で拝むお釈迦さまは、やはりあまりにもやさしくて、こちらを無条件で大肯定してくれるようなおおらかさに満ちていて、思わず涙ぐんでしまった。「すべてオッケー!」と言ってくださっているような……。本当にありがたい仏さまだと思う。

 

一通り涙を流し終えたのち、ふと、あの話を思い出して、お釈迦さまの足元に視線を落としてみると……なるほど、指の一本一本に、そしてつちふまずのすぐ上の膨らんだ部分に、それぞれ丸い輪っか状のようなものが刻まれているのだった。

 

それが果たして本当に年輪と呼ばれるものなのかどうかは素人には分からなかったけど、それでもやはり感激してしまった。

 

木の中に「埋まって」いた仏さまが、いまここで、こうして目の前に現れてくださったことが、とにかくありがたいと感じられて仕方がなかったのだ。博物館の展示であるにもかかわらず、思わずガラスケースの前で両手を合わせて頭を垂れた。

 

 

 

神さまや仏さまや……そしてそれらの宿った「作品」(そこには私たちの日常の動作や言葉も含まれる)は、おそらく、すでに「ここ」にあって、いつだって「ここ」で表に出るのを待っているのだと思った。人間は、手や、口や、目線などを使って、それが表に出るのを、最後の段階で手伝っているだけ。

 

それしかできないのだ。

 

でも、だからこそ、その行為のなんと尊いことか。

 

「表現」という行為の真髄を見た気がした。

 

 

 

「自分がやった」ことなんて、果たしてこの世に存在するのだろうか。その言葉は、本当に正確なのだろうか。

 

私たちにできるのは、いまここにある神仏たちの意志(と呼ぶしかない現象)が、そのままの形で表に出てくるのを助けることができるよう、できるだけ心身を濁らせないように、日々を真剣に生きていくことだけなのではないだろうか。

 

私は、それをまっとうしたいと思った。