空腹感と幸福感 その1

2014年7月31日

ほぼ一日一食、夕食のみの生活をしていると、頻繁に聞かれることがある。

 

「おなか空かない!?」

「ふらふらにならない!?」

 

まあ当然の疑問だろう。私もこの生活を始めるまでは、その二点が気になって仕方がなかった。

 

これにひとつずつ答えていくと、まず、おなかは空く。当然だ。食べていないんだもの。でも「不快」ではない。後ほど詳しく語るが、「おなかが空いている状態」=「不快な状態」では、決してないのだ。

 

で、ふらふら問題。こっちは「ノー」だ。ふらふらになんかならない。むしろ心も身体も快調そのもので、一日三食きっちり食べていたころよりも地に足をつけて生活できている気がする。不思議な気もするけど、これは真実だ。でも、本当にふらふらして、目の前が暗くなるようなときは、それこそエネルギー切れだろうと判断して、なにかをつまんでいる。そこで意地になっていても意味がないどころか、かえって健康を害しかねないので。でも、こんなことは滅多にないけれど。

 

あと、ここで押さえておかなくてはいけないのが、「なにか食べたい……」と感じる場合にも二種類あるということで。

 

ひとつは本当に全身がエネルギーを欲している場合。頭と体と心をフルに使って、どうしたって身体の中にそれ以上の活動をするためのエネルギーがなくなってしまったとき。こんな時は、さすがになにか力になるようなものを外側から補給しなくてはならない。そのサインとして、「おなかが空く」という症状があらわれる。これは言ってみれば健全な食欲ですね。こちらに関してはコントロールする必要はない。自然に任せて、おなかが空いたときに何かをいただけば良いのだから。

 

もうひとつは、身体の中にはまだ十分にエネルギーがあるのに、首から上がなにかを欲する場合。おなかは空いていないのに、一瞬の「刺激」を求めて、なにかを口に放り込みたくなるとき。「逃避」の意味合いが強い食欲。あと、「お昼の時間になったから」「夕食の時間になったから」と言って、実際にはさほどおながが空いていないのになにかを食べる習慣がついてしまった人には、条件反射のようにして「なにか食べたい、食べなきゃ……」が襲ってくる。食欲が脳みそに支配されてしまっているのですね。こっちは決して健全な食欲とは言い難い。

 

前者と後者は、なにかを食べた後に自分の心身が本当に満たされているか否かで、簡単に見分けられる。とくに「心」が満たされているかどうかがポイントだ。

 

 

 

「おなかが空いている状態」=「不快な状態」ではない、むしろそっちの方が真実の「快」=「しあわせ」に気づきやすくなるのではないか、ということを言いたくて書き始めたけど、長くなってきたので明日に続きます!