放てば手に満てり

2016年12月1日

おはようございます。小出遥子です。

「放てば手に満てり」とは道元禅師のことばですが、
これ、一見わかりやすいようでいて、実は、解釈の上で、
ちょっとだけ注意が必要なことばなんじゃないかなと思っています。

これ、素朴に解釈したら、

「(古いものを)手放した」ら、
「(あたらしいものが)入ってくる」余地が生まれる、
そうして気がついたときには
「(あたらしいもので)いっぱいになっている」

みたいなイメージになりますよね?
少なくとも、私はそういうイメージでとらえていました。

これも決して間違っているとは言えないんですけれど、
でも、ちょっと、「放つ」と「満ちる」との間にタイムラグを感じてしまいますよね。

私がここで強調したいのは「即」ということ、
つまり「同時性」なんです。

「放即満」というべきか……
まあ、こんなことばはないですけれど、
「放つ」と「満ちる」は、完全に同時に起こるんです。

ガラスのコップに水が入っています。
その水を少しずつ捨てていったら、
捨てた分だけコップに空気が入っていきますよね。
つまりは空気で満ちていきますよね。

「放つ」と「満ちる」が同時っていうのは、
こういうことだと思うんです。

……いや、この表現も厳密に言えばぜんぜん正確じゃないですね。

だって、「空気」は最初からあったから。

空気は最初からコップの中の水に溶けこんでいたし、
もっと言えばコップの外側にも満ちていたし……。

でも、その事実に気づくためには、
一回、コップの水を捨てる、というアクションが、
自分の身に起きてこないといけない、っていうのはあるんですよね。

「ただある」ものには、人間、なかなか気づけないから。

抽象的な話ですみません。(いつもか。)
また、このあたり書いてみたいと思います。

 

今日の夜、神谷町光明寺でTemple開きます。
まだお席に余裕ございますので、お申込みの上、お気軽に遊びにいらしてくださいね。

http://temple-web.net/event/25/

発酵生活研究家の栗生隆子さんもご参加されます。
今回は、栗生さんとの対話記事をベースにしたイベントとなります。
こちらの記事にピンときた方は、ぜひ。
記事内には「放てば手に満てり」ということばも出てきますよ。

栗生隆子さんとの対話/「めぐり」そのものとしてのいのち

 

よい一日をお過ごしください◎