「期待」と「しあわせ」

2016年12月25日

おはようございます。小出遥子です。

昨日はクリスマスイブ。今日がクリスマス当日。
……のはずなのに、どちらかと言えば、日本では、
イブの方が「本番」っぽい扱いになっていますよね(笑)。

小出家でもずっとそんな感じでした。
24日の夜に、クリスチャンでもないのに
鶏肉やらケーキやらをたのしんで。
一晩明けて、25日の朝はもうすっかり通常モード。
クリスマスの雰囲気はどこへやら、
食卓にはメザシや納豆が並んでいますが……
まったき日本の朝食ですが……みたいな。
今日が本番のはずなのに、
クリスマス、いったいどこ行った……? みたいな。

まあ、いいんですけれどね。
荒井時代のユーミンも
♪つぎの夜から欠ける満月より14番目の月がいちばん好き
って歌っていますし、
(小出、ホントに84年生まれなのか!? という声が聞こえる……)
クリスマスよりクリスマスイブ、
元日より大晦日にはしゃぎたくなる気持ちは、
多くの人々に共通してあらわれるものなのかもしれませんね。

これって、つまりは「期待感」なのかなあ。
「これからなにか起こりそうな気がする」っていうワクワク感。
それが、みんな、好きなのかもしれない。

ワクワク感はたのしいものですけれど、
でも、あんまり期待が強すぎても、
逆に、自分(や期待をかける対象)を苦しめるだけだったりするので、
取扱い注意なものではありますよね。
「期待」は「不安」とセットですから。

最近、すごく思うんです。
生(なま)のよろこびは、いまここでしか実感できないな、って。

結局すべて、いまの自分、なんですよね。
(「いま」と「自分」は究極的には同じものなんですが……。)
いま、自分が、いかに満たされて、しあわせであるか。
ただただその事実に気づいていくこと。
ほんとうに、それに尽きるなあって。

あんまり「期待」で心身をパンパンにしていると、
いまの無限の豊かさに気づきづらくなってしまう。

……とは言え、「期待」だって、広大なご縁の網目の中で
おのずから起こってくるものなので、
止めようと思って止められるものではないんですけれどね。

でも、
「期待」が、いま、自分の身において起こっているな、と。
そのことに気づくことはできますよね。
そうしたら、そこから、また、態勢を立て直せばいいだけ。
いまの無限の豊かさを、ただただ感じていけばいいだけ。

私たちがほんとうに欲しているものは、
期待の対象そのものではなく、
その対象が自分にもたらしてくれるであろう幸福感でしょう。

でも、しあわせは、ほんとうはいつだって
いまここの自分が備えているものなのですよね。

それに気づけば、もう、回り道をする必要はなくなりますね。

しあわせを、生きていきましょう。

 

メリー・クリスマス。

よい一日をお過ごしください◎

 

このあと、朝6時40分から、NHKラジオ第一
「著者に聞きたい本のツボ」という番組に出演します。
拙著『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』
ご紹介させていただきました。
早起きの方は、ぜひ、お聞きになってみてください。