なんにだって「慣れる」→「成れる」。

2014年9月2日

一日一食という生活スタイルになって、どのぐらいになるだろうか。街に出たときや、いただきものをしたときなど、時折お昼になにかをつまむことはあるが、だいたい毎日、夕食のみで暮らしている。

 

最初こそ体重がどんどん減っていき(一時期30キロ台にまで突入して、さすがに焦りました)、肌もかさかさして、顔色も青っぽくなって、周りの人たちを心配させたが、いまではそれなりに健康的なスタイルを取り戻したし、肌の調子や顔色に至ってはなんだか良くなる一方だ。体調はかつてないほどに絶好調。身体も頭も軽くて、なにをするにしても、以前よりぐんとスピードと質が上がった気がする。消化に回っていたエネルギーが、集中力という形に姿を変えてあらわれてくれるようになったのだと思う。(このほかにも私は冷えとりやら白湯飲みやら肌断食やら、いろいろいろいろ試しているので、効果は複合的なものだとは思いますが……。)

 

 

 

私は元々朝食をほとんど摂らないタイプだったので、昼を意識的に抜かすだけでよかった。それでも、最初の方は、かなりの空腹感と口さみしさに耐えなくてはいけなかった。目がかすんで、見るものすべてが白っぽい膜に覆われているようだったし、人に話しかけられても、反応を返すまでに少しばかり時間がかかるようになっていた。言葉と意味が結びつくのに、若干のタイムラグが発生してしまうのだ。いつだってなんだか上の空だったし、夕方になると歩くのもやっと……という体たらくであった。はっきり言って相当つらかったが、ぜんぶ好転反応だと思って耐え続けた。

 

でも、本当につらかったのは最初の1~2週間だけで、あとは慣れる一方だった。「あれ? 昨日よりつらくない……?」「今日、割と大丈夫かも?」となって、最終的には「空腹感はあるけど、別にぜんぜん不快じゃないなあ」と思うようになった。最近では「おなかが空いているのって、むしろ、心地いいことかも」とまで思えるようになっている。そして実際、それは事実なのであった。

 

減り続けたらどうしようかと思っていた体重も、底まで落ちたら、徐々に回復していって、いまでは一日一食を開始する前の体重マイナス2~3キロ、つまり私の理想のベスト体重で落ち着いている。健康状態の良さは冒頭で述べた通り。

 

たぶん、いままで眠っていた私の潜在的な消化吸収能力が一日一食という過酷な環境に置かれて、開花せざるを得ない感じになったのだろう。口に入れて飲み込んだものすべてから、あらんばかりの栄養素を搾り取って、肉や骨にしてやろうと、身体がいつだって臨戦態勢をとっているのを感じるのだ。臨戦態勢とか言うと平和的じゃないな……。すべての器官が、自身の持つ最大限のパフォーマンスを発揮してやろう、とわくわくしている感じ、と言おうか。心と身体の連携が取れている感覚があって、ものすごく心地いい。

 

(まあ、これってつまり、余分なものを摂った場合、それもばっちり体重に反映されてしまう、つまり「太りやすくなった」ということではあるのだけれど……。でも、私は一日一食スタイルを崩すつもりはいまのところないので、なにも問題はないです。おいしいお菓子をぱくぱくと食べる幸福、それ以上のしあわせを、この生活によって受け取っているので。)

 

 

 

だらだらと自分の体験談を書いてしまったが、なにを言いたいのか、というと、「人はどんな環境にだって慣れる(慣れてしまう)」ということ。

 

はじめに「一日一食」というフレーズを聞いたのはかなり前だったと思うが、それを実践するには、私の場合、少し時間がかかった。「そんな過酷で極端なこと、できるわけないじゃ~ん!」と思っていた。でも、実際やってみたら、できた。できちゃった。

 

 

 

こんな「過酷」で「極端」なことにも、身体はしっかりと対応してくれたし、それにつれて心の状態もどんどん落ち着いていったし、自分のやりたいことに対するモチベーションも、それ自体のパフォーマンスもどんどん上がっていくし(はい、自分で言いました……)、なんか、もう、できないことなんて、本当はなにもないんじゃないか……とまで思ってしまう。

 

たかだか一日一食生活を送れるようになったからと言っておおげさかな。でも、たぶん、人間、文字通り、「やろうと思えばなんだってできる」のだと思う。これは絶対的な事実だと思う。

 

(あ、あと私、毎朝3~4時に起きられるようになったし、毎朝ブログを更新することだってできるようになりました。前は「ぜったいできない……」と思っていたけど、普通にできるようになったこと、結構あるじゃん! ってことで自信を持って大口叩きます。笑)

 

 

 

人間は誰だって、本来、ものすごい能力を持っている。本当に誰だって。

 

ただ「やろう」と決めて、腰を据えて「やる」。

 

やればできる。やらなかったらできない。

 

それだけの話なのだと思う。

 

これに関しては、人間は絶対的に平等だ。

 

 

 

「なんにだって慣れる」は、「なんにだって成れる」につながっていくな、とふと思った。

 

あることを目指して、そのための行動に自身を「慣らし」ていく。それをある程度続けていくと、あるとき、すでにそれ自体に「成って」いる自分を発見する。

 

これが「成長」という言葉の意味なのだと思う。

 

 

 

なんにだって「慣れる」し、それゆえになんにだって「成れる」のなら、謙遜や恥じらいや自信のなさや恐れや思い込み(これが一番厄介だけど)なんてとっととかなぐり捨てて、思い切って「決めて」しまうことは、ものすごく大切なことだと思った。

 

 

 

「決める」っていうのは、本当に魔法なんだと思う。しかも、誰にだって使える魔法。

 

 

 

私は、魔法をたくさん使って、いろんなものに「成って」、わくわくしながら生きていきたいな~。

個人の好みの問題なので、決して強要はできないけれど。少なくとも私は。

 

そんなことを思いました。