「ひとつ」を選ぶ。

2014年9月3日

たとえば、この世に存在する幸福の総量が100だとする。目の前の他人がそのうちの70を味わってしまったら、イコール、自分に転がりこんでくる幸福は、30未満になる……?

 

なんてこと、あるわけがなくて。

 

 

 

人はみな、それぞれ100ずつの(厳密に言えばそれも数値化できない。言ってみれば「無限」なのだけれど、まあ便宜上ね……)しあわせを与えられていて(というか、私たちひとりひとりは、本来、しあわせそのものでできているのだけれど)、ただその事実を受けいれるだけで、思う存分、しあわせになれるのだ。

 

 

 

でも、どうしても、冒頭に挙げたような考え方にとらわれてしまうことも多くて。しあわせを相対的なものとして捉えてしまって、目の前の他人の幸運を素直に喜べない。

 

彼女ばっかりズルいよ。なんであの彼があんなにいい思いを。私はなんて運がないんだろう――

 

いろんな思いが渦を巻いて、祝福の言葉が素直に口から出てこない。作り笑いを浮かべることさえできない。

 

そんな自分を否定することで、さらに自らを不幸にしてしまう。

 

苦しい。抜け出したい。私にも幸運がやってきたら、ここから抜け出せるのに。しあわせになれるのに――

 

 

 

あるとき、私自身、そんな思考の檻の中に、自らを囲い込んでしまっていた。

 

ズルい。なんで彼女ばっかり。なんで。ひどい。悔しい。悲しい。笑っているのは、私の方だったかもしれないのに――

 

腹の底に不穏な靄を隠しながら、それでも必死に笑って、「おめでとう、よかったね」の言葉を口に出そうとした。でも、できなかった。じわじわと湧き上がってくる悔し涙を押しとどめるのに精一杯だった。彼女がそんな私に気づいていて、でも気づかないふりをしてくれているのも、また悔しかった。

 

苦しかった。でも、どうしたらいいのか、わからなかった。

 

 

 

でも、私は、そのときふと、目の前の彼女の澄んだ瞳の中に、私自身の姿を見たのだった。

 

彼女の瞳の中で、私は、私をじっと見つめていた。

 

彼女の中に、「私」が、生きていた。

 

 

 

その刹那。

 

私は、「彼女」も「私」も、おなじひとつのものであることを、思い出したのだ。

 

「彼女の」しあわせは、文字通り、まったくもってそのままの、そのまますぎる意味で、「私の」しあわせだった。

 

 

 

心が、すうーっと落ち着いていくのが分かった。次の瞬間、私は、地の底から湧き上がってくるような歓喜に包まれていた。

 

彼女の幸運が、うれしかった。彼女が心からうれしそうに笑っているのが、うれしかった。

 

彼女のしあわせを、自分のしあわせそのものとして、そこに一切の分断もなく、まったくそのまま、ひとつのものとして、私は、その「しあわせ」を味わうことができたのだった。

 

そこには寸分の苦々しさもなかった。圧倒的な歓喜の中で、そんなものは存在できようはずもなかった。

 

「おめでとう」の言葉は口をついて出てきた。先ほどまでの悔し涙はうれし涙に変わった。涙を流して祝福の言葉を述べる私を、彼女は本当にうれしそうに抱きしめてくれた。彼女の体は、熱くて、やわらかかった。

 

しあわせが、どんどんどんどん拡大していくのがわかった。

 

世界に、光が満ちていた。世界は、光そのものだった。

 

 

 

なんだ、私は、こっちを「選ぶ」こともできたんだ――

 

いつだってこっちを選べたのに、選ばなかっただけなんだ――

 

 

 

「選ぶ」ことは、「しあわせ」になることは、拍子抜けするほどに簡単だった。

 

難しくしていたのは、自分自身だった。

 

 

 

 

 

島は島そのものとして海に浮いているのではなくて、陸地が隆起したものの周辺に水がたまって海となり、島として存在するようになった。私たちが生きているこの陸地と、あの島とは、本当は地続きなのです。

 

……といったような話を聞いても、いまいちピンとこない。だって島は島じゃん。こことは離れて存在しているじゃん。ここと向こうが本当は地続きになっているだなんて、信じられないよ。

 

なんて言ってみても、でも、実際、そういうものであるのだから仕方ない。島に見えるものは、陸地そのもので、周辺を海に囲まれてるから、孤絶しているように見えているだけ、であるらしい。

 

(島の成り立ちにもいろいろあって、たとえばひっこりひょうたん島みたいな純然たる浮島も多数存在するようですが……。)

 

私たち人間も、そんなものなのかもしれない。

 

ひとつひとつの島として、大海にばらまかれている存在、それが私たちだ。

 

本当は同じひとつのものなのに、同じひとつの「しあわせ」を共有できるものなのに、周りを海に囲まれているがために、自分自身を孤立した存在だと思いこんでしまっているのだ。

 

海にもぐってしまえば、実は、底の底の方ではまったくひとつのものとしてつながっていることがわかる。けれど、普段はそんなことも知らないで、それぞれに孤島として存在している。

 

「向こうの島に恵みの雨がやってきた。けれどこっちには降らない。不公平だ!」

「あっちの島のヤシの実は豊作だ。ズルいぞ! こっちにもよこせ!」

 

なんてことを互いに言い合って、奪い合って、傷つけ合って、それ以上に自分自身を傷つけている。

 

 

 

本当はぜんぶ、おなじひとつのものなのに。

 

誰かがしあわせになれば、自分もその分だけ、まったく同じしあわせを感じることができるのに。

 

そっちを「選ぶ」ことだってできるのに。

 

 

 

 

 

「選ぶ」のには勇気がいるかもしれない。

 

でも、そのほんの一瞬の勇気で、文字通り世界は変わる。

 

 

 

 

 

私は、本気でそう思っています。