「いのち」の中に、「私」が。

2016年12月28日

おはようございます。小出遥子です。

「私」が、「世界」の中で起こっていることを、
「見て」「聞いて」「嗅いで」「味わって」「感じて」いる。
そうやって、個別具体的な「いのち」を、「私」が「生きて」いる。

たいていの人たちは、そういう風に「いのち」をとらえて、
それを疑いもしていないことでしょう。

私自身、ずっとそうやって「生きて」きました。

でも、ちょっと発想を転換して……

ただある「世界」の中に、
「私」という現象や、
「見ること」や「聞くこと」や「嗅ぐこと」や
「味わうこと」や「感じること」が、
瞬間ごとに立ちあらわれて、
いまここにおいて、いまここにしかないダンスを、
ただただ、たのしんでいるだけだとしたら……?
その活動の全体、それそのものが「いのち」なのだとしたら……?

「私」が、個別具体的な「いのち」を生きているのではなくて、
「いのち」の中に、個別具体的な「私」が立ちあらわれているのだとしたら……?

「正しい」とか「正しくない」とかじゃなくて、
ただ、その発想とともに「いまここ」にあってみるのは、
悪くない経験になるんじゃないかな、と思います。

ご興味があれば、ぜひ。
たのしいですよ。

 

よい一日をお過ごしください◎