ほんとうはいつだって「しあわせ」の中にある

2016年12月29日

おはようございます。小出遥子です。

最近、「しあわせ」ということについてよく考えます。

……と言っても、
いまが不幸だから「しあわせ」について考えているわけではなくて(笑)、
むしろ逆で、いま、どうしようもなく「しあわせ」なのはなんでだろう? って。

……と書くと、なんだかものすごくおバカさんっぽいんですが~。
(まあいいか! 事実、「おバカさん」な側面はあるし!)

まあ、とにかく、そんなことをよく考えている年末です。

いや、実際、ほんとうに「しあわせ」なんです。
常に満たされている。
不足感がない。

不足感がないから、実際、「なんでだろう?」とも思わないのですが、
まあ、こういうブログをやっている人間なのでね、
説明できるのならしてみたいなあ、と思ってしまうんですね。

確かに、数年前に比べれば、
周辺のいろんな状況がととのってきていることは確かだし、
それはそれでとてつもなくありがたいことなのですが、
しかし、ここで言う「しあわせ」とそれとは関係がないんです。

それに、もちろん、大変なことは普通に起こります。
「え~!? 面倒だな~」「嫌だな~」と思うことだって普通に起こるし、
「この人、苦手だな~」と思う人が周りにいないわけでもありません。
激しく落ち込んでめそめそ泣くこともあるし、
怒りではらわたが煮えくり返るような思いをすることだってある。
でも、そういうことすら、この「しあわせ」とは無関係というか、
それらの出来事によって「しあわせ」が損なわれることは決してない。

なんと言えばいいのかな。

状況や環境に左右されない、
いまここにただある「しあわせ」を、
素直に認められるようになったというか……。

しかし、その「しあわせ」を感じているのは
個人としての「私」ではないんですよね。

ここが、表現が非常に難しいところなのですが……。

「私」の目から見れば、世の中のすべてが、
「私にとってしあわせなこと」と
「私にとってしあわせではないこと」とにわけられてしまいますよね。

でも、「私」という「個人」以前の「いま」、そして「ここ」に、
ただただストンと落ち着いてしまえば、
そこにはなんの分離もなく、
「しあわせ」と呼ぶしかないものだけで満たされていて。
ただただそこを感じていくだけでOKで……。

うーん、やっぱりうまく表現できなくて
単なる「おバカさん」っぽい記事になってしまいましたが……。

私たち、ほんとうはいつだって「しあわせ」の中にあるのだということ。
いつだって、絶対的に「満たされている」のだということ。
「不幸」や「不足感」すら、
絶対的な「しあわせ」の中で起こっているのだということ。

にわかには信じられなくても、
「そうか」と思って世界を眺め渡してみれば、
いままでとはまったく違った風景が広がっているかもしれない。

やってみて、損はないと思います。

「共有」が幻想だとしても、そのぐらいのことは言えるかな!

 

よい一日をお過ごしください◎