“ある”を生きている人と、“ない”を生きている人。

2014年9月7日

先日、私の恋人がこんなことを言った。

 

「この世界には二種類の人間がいるんだよね。“ある”と思っている人と、“ない”と思っている人。もしくは、“ある”を生きている人と、“ない”を生きている人。」

 

簡潔で、的を射た表現だと思う。ものすごく腑に落ちた。もしかして、これで全部説明できちゃうんじゃないか……!? ぐらいまで思って大・大・大興奮した。

 

“ある”はそのまま“恐れ”に、“ない”はそのまま“愛”に置き換えてもいいかもしれない。もしくは“有限”と“無限”。または“分離”と“統合”。”疑い”と”信頼”。”緊張”と”安らぎ”。あるいは……

 

 

 

“ある”とか“ない”とか、一体なんの話をしているのさ!? と聞かれたら、まあ、一言で言えば「自分」というものの存在ですね。

 

「自分」という、個別の存在が“ある”と思うのか、“ない”と感じるのか。

 

それによって、全然生き方が変わってきてしまう。

 

 

 

“ある”ことを信じ込んじゃっている人には、“ない”の人の言葉はちんぷんかんぷん。時に”ある”の人は、”ない”を生きる人の言葉を「気味の悪いもの」として、随分と攻撃的な態度をとることさえある。でも、“ない”の人は、“ある”の人の言葉も理解できるし、愛情を持って接することができる。だって、自分だって一時期“ある”を生きてきたクチだから。でも、あるとき、ふいに気づいてしまうのだ。

 

「自分なんていなかったじゃないか!」

「世界にはそもそものはじめから、なーーーんにもなかったじゃないか!」

「なんてこった!!!」

 

と。

 

 

 

私たちはみんな、もともと“ない”の世界にいて、でも、あるときふと、“ある”の幻想の中に迷い込んでしまう。その幻想はものすごく強力で、自分がもともと“ない”の世界を生きていたことなど、すっかり忘れさせてしまうのだ。

 

でも、なにかの瞬間に、その幻想のわずかな裂け目から、もともとの世界を見てしまう人もいて。というか、本当は、“ある”の幻想の中には、そこここに裂け目が存在していて、本人さえ「見よう」「戻ろう」と思えば、実はいつだって“ない”の世界に戻っていくことができる。でも、“ある”の幻想はあまりにも強力だから、その裂け目の存在すら「幻想」だと思わせてしまうのだ。

 

でも、たぶん、みんな、本当は違和感を覚えながら生きているのだと思う。

 

「“ある”って、本当なのかな……?」

「本当に、本当に、本当なのかな……?」

 

裂け目の向こう側に「本当」の世界があることを、からだのどこかが覚えている。本当は、「本当」の世界に戻りたがっている。

 

だって、“ある”の世界は、苦しいから。

 

 

 

“ある”を生きている人は、“所有”の幻想を生きているから、いつだって「奪われまい奪われまい」と戦々恐々としている。

 

“ない”を生きている人は、“所有”すら幻想だと知っているから、いつだってゆったりと構えている。

 

どちらが「自由」だろうか。

 

あなたはどちらを生きたいですか?

 

 

 

もう一度言います。「裂け目」はそこここに存在します。

 

私たちはいつだって“ない”の世界に戻れます。

 

“ない”を生きていくことができるのです。

 

心から、そう決めてしまうだけで。

 

 

 

 

 

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