ノーモア「スケベ心」

2016年12月30日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のおバカさんっぽい記事、おたのしみいただけましたでしょうか(笑)。

まあ、簡単に言えば、「しあわせになる」のではなく、
「しあわせである」ことに気づく、という話でしたが、
今日はそこにちょっと付け足しです。

「しあわせ」は、いまここに、すでにある、ということを認めると、
すっかり満たされてしまって、不足感がなくなります。
不足感がなくなると、他人に妙な期待をしなくなります。
つまり、「他人にしあわせにしてもらおう」
というスケベ心(おっと失礼)がなくなるんです。

他人に自分のしあわせを預けなくなるとどうなるか。
人付き合いが格段に楽になります。

誰かになにかをしてもらおう、と考えているうちは、
相手の一挙手一投足に対して常に「監視」の目を光らせて
厳しく「採点」をしている状態です。
しかもそれは「減点方式」の採点です。

これは、はっきり言って苦しいです。
自分もたのしくないし、相手だって窮屈な思いをするに決まっています。

そんなつまらない時間を過ごすのは、誰だって嫌ですよね。

いまここにすでにある「しあわせ」に落ち着いてしまえば、
ただただ純粋に、誰かとともに過ごす時間をたのしく過ごせます。
「期待」で目を曇らせることなく、
瞬間ごとの出会いを味わえるようになります。

これ、ほんとうなんですよ。

「しあわせ」に生きるとは、「いまここ」を生きるということです。
「いまここ」以外に「しあわせ」はない。
そのことを、真実、認め切ってしまうだけです。

そして、これは、思っていた以上に簡単なことです。

やるか、やらないか。
ただ、それだけなのだと思います。

 

よい一日をお過ごしください◎