大丈夫。あなたは無責任なんかじゃないよ。

2014年9月12日

「新聞ぐらい取りなさいよ、大人なんだから」とか、「嫌な事件から目を逸らしたような生き方はインチキだ」とか「無責任だ」とか……。

 

こういうのよく聞くけど、はっきり言ってものすごく違和感がある。

 

テレビやネットを見なくても、道を歩くだけで不安なニュースにぶつかる昨今だ。なにかひとつ、良からぬことを聞いた瞬間に、自分からどんどん情報を集めて、どんどん不安感を大きくして、どんどん自分自身の足場をもろくして……。そんな人たちがいっぱいいる。可哀想だし、見ていて本当につらく、苦しくなる。

 

「大丈夫。もうそんなことしなくていいんだよ。自分の力が奪われるって分かっているようなものに“責任感から”首を突っ込んでいくようなこと、しなくたっていいよ。」

 

そんな風に声をかけてあげたくなる。

 

「それはぜんぜん無責任な態度じゃないよ。」

 

「大丈夫だよ。」

 

 

 

もちろん、事実、問題は山積みだ。世界は解決すべき事柄をたくさん抱えている。原発のことも、戦争のことも、いまという時代を生きる私たちひとりひとりの「いま」「ここ」での選択と行動にすべてがかかっている。それは重々承知の上だ。

 

でも、順番というものがあるだろう、と思うのだ。

 

だって、いま、ひとりひとりが力を失っている。生命力が弱って、息をするのもいっぱいいっぱいになってしまっている人たちがたくさんいる。青白い顔をして、姿勢が悪くて、呼吸が浅くて、いつだって不安気で、風が吹けばそのままぼろぼろと崩れていってしまいそうな人たち……。

 

無理もない。私たちはあまりにもショックを受けたんだ。それにニュースは悪いことしか報道しないもの。明るいことなんかひとつもないと思ってしまっても仕方がない。

 

いつ自分や自分の大切な人のいのちが不当に奪われてもおかしくない、そんな世界の中で、一切の不安感を持たずに生きることの方が難しいだろう。

 

 

 

その上で。

 

不安感や恐怖感に押しつぶされそうになっている人に、正当な判断ができると思いますか? っていう話で。

 

「恐れ」から選んだ(「恐れ」に選ばされた)未来は、本当にあなたが望むものですか?

 

 

 

順番が違うのだ。弱っている人にいきなり「責任感」を押し付けて判断を迫るのではなくて、まずは彼らが自分の足で立てるように、「恐れ」というフィルターを自分の手で外せるようにサポートしていくのが、本当の意味で「責任感」を持つ人の行動なのではないかな、と思うのだ。

 

 

 

いいんです、ニュースなんか見なくたって。まずは自分の半径5メートル……いや、2メートル、1メートルでもいい、そこを楽園にすることだけを考えてください。自分の心がかき乱されるとわかっているものにあえて近づくことはしなくていいのです。情報をシャットダウンする勇気を持ってください。

 

いつだって、自分の心がやさしくいられる方を選んでください。

 

自分の心を守るのは、世界でひとり、自分だけです。

 

自分の心を愛で満たせるのは、世界でひとり、自分だけです。

 

 

 

「無責任だ!」と叫ぶ人々の声に耳を貸す必要はありません。そう叫ぶ人自体、本当は自信がないのです。「恐れ」をベースに行動してしまっているのです。無理してやっているから、それをやっていない人を見ると感情がかき乱されるのです。疲れているのです。彼らこそ休むべきなのだと私は思います。休んで、存分に自分を労わってあげてください、自分を愛で満たしてあげてくださいと、本当にそう思います。

 

時間がない? それって本当ですか? それも、「恐れ」が見せたものではないですか?

 

 

 

自分の状態を整えることが、世界を整える唯一の方法だと知ってください。

 

 

 

自分が整ったら、ごくごく自然に、この世界で自分ができること、自分に与えられた役割を、しっかりと果たしていくことができるようになります。どこにも力を入れずに、自然に。楽しく。朗らかに。しなやかに。美しく。

 

そのとき、人は、「恐れ」ではなく、「愛」から行動できるようになっています。

 

「愛」から出た行動こそが、世界を救います。

 

それ以外に、方法はありません。

 

 

 

「自分」は、そっくりそのまま「世界」です。

 

あなたは、世界そのものです。

 

 

 

どうか届きますように。