スリルと娯楽

2017年1月4日

おはようございます。小出遥子です。

今日はコチラの引用から。

そこでムーミントロールは、うでをひろげてとんでいきながら、にっこりして、つぶやいたのです。

(さあ、いくらでもおどかすがいいや。もう、おまえのやりかたはわかったぞ。わかってしまえば、おまえも、ほかのやつと似たものさ。これからは、もうだまされないよ)

そうやって彼は、おどりながら、長い海岸を、ずっと遠くまで、冬につれられていきました。いつのまにか、雪にうずもれた桟橋のすぐそばまで、きていました。水あび小屋の窓ごしに、ぼんやりしたあたたかい光が見えました。

「おや、ぼくはたすかったのか」

ムーミントロールは、なんだかがっかりして、いいました。

「スリルのあることって、それがもうこわくなくなって、ようやくたのしめるようになったころは、きっと、おしまいになっちゃうんだなあ。ほんとにつまんない」

(『ムーミン谷の冬』 ヤンソン=著 講談社文庫 より抜粋)

この最後のムーミンのセリフ、いいですよね。
すごく「真実」を突いていると思う。

私も、近年、脳が「いまここ仕様」になってきたとは言え、
「なにが起きても動じません」みたいな境地には程遠く……。
日々勃発するさまざまな出来事に
いちいち一喜一憂して暮らしています。

でも、前と確実に違うのは、
たとえば怒りや悲しみや恐れなどの
どちらかと言えば「ネガティブ」な感情を、
「娯楽」
として味わうこともできるようになったことですかね。

いや、ほんとうに、そういうのって「娯楽」だと思うんです。

だって、「いまここ」だけを虚心坦懐に見つめれば、
そこに自分を脅かすようなものは
なにひとつとして存在していないんです。

なにひとつ、です。

自分を脅かすのは、自分の思考だけです。
思考は、さまざまな感情を連れてきます。
そして、それらはすべて、
「過去」か「未来」を起点として湧き起っています。

でも、当然だけど、
「いまここ」に「過去」や「未来」はありません。

そのことが見抜ければ、
怒りも、悲しみも、恐れも……ありとあらゆる感情は、
すべて、実体なきまぼろしだということも、
また、同時に見抜けてしまいます。

そうなれば選択肢はふたつ。
「幻想なら、とらわれているのもバカバカしいな」と言って
ネガティブな感情を味わうことをやめてしまうという道と。
もうひとつは、
「幻想なら、思いっきりたのしんでしまえ」と言って
それすら娯楽として味わってしまうという道と……。

どちらでもいいんです。
そこには余裕があるから。

でも、後者を選んだとしても、その娯楽は長くは続かないですね。
だって、もう、種明かしは済んでいるから。

それに、「種明かし」が済んだ頃には、
思考や感情の原因となった状況自体、
あるべきところにすんなりおさまっていたりするんですよね。
不思議なことに……。

「スリルのあることって、それがもうこわくなくなって、
 ようやくたのしめるようになったころは、
 きっと、おしまいになっちゃうんだなあ。」

うん。わかるよ、ムーミン。
たのしいことって、いつだって、
「これから」ってところで終わっちゃうんだよね。

だからこそ、「バカバカしい」とわかっていても、
飽きもせず、いろいろな感情にとらわれて、
泣いたり怒ったりおびえたり笑ったりしながら、
「これこそが人生の醍醐味さ……」みたいなことを
キザったらしくつぶやいてみたりするのかもしれないね。

まあ、それもまた人生。
好きなように生きればいいですよね。

なんかオチが投げやりっぽいけど(笑)
今日はこのあたりで!

 

よい一日をお過ごしください◎