私たちは仲間です。

2014年9月14日

仏教では「仏」「法」「僧」の3つを指して「宝」としている。「仏(ブッダ)」はそのまま悟りの体現者。「法(ダルマ)」は「仏」の教えを集大成したもの。最後の「僧(サンガ)」は「法」を学ぶものたち。(大乗仏教と小乗仏教で微妙に解釈は異なるそうですが、まあざっくり言えばこんな感じです。)

 

三宝の最後の「僧(サンガ)」。これはなにも頭を丸めて出家した本職のお坊さんのことだけではない。それぞれの地でそれぞれの役割を果たしながら「本当のこと」を探っている、在家の無数の人たちのことも、私は「僧」だと思っている。「僧」は、それ自体、集団を表す言葉でもある。「僧」同士は、同じ道を歩む者を一瞬で「仲間」として認識する。「親友」とか「恋人」とかそんなベタベタした感じじゃなくて、ただただ「仲間」として互いを認め合い、たたえあい、心の中に相手という存在をまるごと抱きながら、それぞれの地でそれぞれの人生を生きていくのだ。

 

 

 

ここ最近、私も、「仲間」との出会いが立て続けに起こっている。

 

年齢も、性別も、職業も、家族構成も、住んでいる場所も、いままでどんな人生を歩んできたのかも、そんなもの全部とっぱらって、「いま」「ここ」で、一発で勝負は決まる。

 

目を合わせた瞬間、「はじめまして」より先に、「会いたかったです」が口をついて出てくるような相手。

 

「私たちは仲間です」

 

その一言で、すべてを了解し合える尊き相手。

 

 

 

自分が仲間を欲していたなんて、知らなかった。でも、どうしようもなく、私は彼らを求めていたらしい。出会ってようやく気がついた。

 

昨日、渋谷の高層ビルの日本茶カフェの窓際の席に座って、どこまでも広がっていく薄水色の空をぼうっと眺めているときに、ふいに、強く思った。

 

この空の下のどこかで、彼や彼女が息をして、動いて、それぞれの人生を生きて生きて生きている。私はもう、それだけで満足だ、と。

 

そんな仲間とのご縁をいただいたことを、涙が出るほどにしあわせだと思った。

 

 

 

「本当のこと」を表現し始めたら、仲間に会えた。そしてこれからも出会っていく。

 

遠慮なくやっていこうと思う。

 

だって、私は、「あなた」と出会い続けていたいから。