「いつか」「どこか」「誰か」に「しあわせ」を求めても……

2017年1月6日

おはようございます。小出遥子です。

相も変わらず「しあわせ」について考えています。

「しあわせ」のことであたまがいっぱいだなんて、
ほんとうにしあわせな人ですね~

と、誰かに皮肉られたとしても、いいです。
事実、そうなんだし。

すみません。
私、しあわせなんです!(笑)

いや、でも、実際の話、
人間のすべての行動のベースの部分に、
「しあわせになりたい」という気持ちがあるのだとしたら、
やっぱり、そこを見つめないわけにはいかないんじゃないかな、と。

ほんとうは、みんな、ただ、単純に、素朴に、
「しあわせになりたい」し、
「しあわせを感じて生きていきたい」だけなんだと思う。

でも、そもそも自分の求める
「しあわせ」の正体(というか性質)を
しっかり見つめるという作業をしていないから、
それとは真逆の方向に全力で突っ走ってしまって、
自分で自分を苦しめてしまっているんじゃないかなあ。

ということで、今日は、ダイレクトに、
「しあわせ」の在り処について書いてみますね。

「しあわせ」はどこにある? どこに属している?

「いま」「ここ」「自分」とともにある。

思わず無駄に囲ってしまいましたが、これが正解です。

これ、ほんとうなんです。

「しあわせ」は、いつだって、
「いま」「ここ」「自分」とともにある。

というか、
「いま」「ここ」「自分」こそが「しあわせ」なんです。
「しあわせ」が、「いま」「ここ」「自分」としてあらわれているんです。

こんなにシンプルなことってない。

でも、どうも、多くの場合、ここが見誤られて、

「いまではないいつか」に、
「ここではないどこか」に、
そして「自分ではない誰か」に、
「しあわせ」を求めてしまっているようなんですね。

この勘違いこそが、
すべての「不幸」のはじまりになっているような気がしてならないのです。

「しあわせになろう」とすればするほど「しあわせ」を見失ってしまう。
なぜなら、「しあわせ」は「いま」「ここ」「自分」以外にはないから。

「しあわせになる」という思いを手放した瞬間、
「しあわせである」という気づきがやってくる。

もう、「いつか」「どこか」「誰か」に
「しあわせ」を求めるのはやめませんか。
ただただ、「いま」「ここ」「自分」を生きていきませんか。

「しあわせに生きる」って、
拍子抜けするほどに簡単なことかもしれないですよ。

難しくしているのは、自分の思い込みだけじゃないかな。

しばらく「しあわせ」シリーズ続けようと思います。

 

よい一日をお過ごしください◎