「悟り」なんてすごくない。

2014年9月17日

「小出さんは、“悟った”ってことですか?」

 

上記のような質問をたまにいただく。「自分なんてなかったんですよ!」「私はあなたで、あなたは私だったんですよ!」「ぜんぶがなくて、それゆえにぜんぶがあったんですよ!」「そっちが本当だったんですよ!」なんて、ちょっぴり(?)わけのわからないようなことを、繰り返し繰り返し言っているからだろう。

 

 

 

「悟り」とか、「見性」とか……。

 

 

 

えーと、そうだなあ、悟ったと言えば悟ったんだろうし、あれはまあ「見性」の一種だったのだとは思う。でも、なんて言うか、う~む……と腕組みをしてしまうのは、これらの言葉の持つイメージが、あまりにもその実際とかけ離れて、「なんだかよくわからないけどすごいもの」として独り歩きをしてしまっているからであり……。

 

いや、実際、このブログで、私、過去に一度も「悟り」やら「見性」やらの言葉を使っていないはずで。

 

「私、真実を見ちゃったんです! 悟っちゃったんです!」

 

なんてことを言うと、奇人変人扱いされて終わりだしね……。(いや、いまでもこっそりとヤバいやつ扱いされているとは思うのですが……。)

 

 

 

でも、この「奇人変人扱い」こそが、この世に流布する「悟り」という言葉に対するイメージを代弁していますよね。

 

「悟りはすごいもの」

「厳しい精神修行を積んだ上でようやく得られるもの」

 

とか、

 

「悟った人は仏さまみたいな人になるんでしょ?」

「いろんな欲からフリーになるんでしょ?」

「超能力が使えるようになったりもするんでしょ?」

 

とか……。あるでしょ? そういうの。

 

 

 

いや、実際、私も、自分が「悟り」の瞬間を体験するまでは、正直、そんな風に思ってました。

 

「悟り」を、思いっきり特別視していました。

 

 

 

しかし、実際、この超ド級の一般人である私に、あるとき、どういうわけか、ふいに、その瞬間が訪れ……。

 

「どうやら、私は、“本当の世界”を、見てしまったらしい……」ということを理解し始めるようになってからの私の身に起こった大きな変化を挙げれば、

 

「悟りなんて、ぜんぜん特別なことじゃないんだな~~~」

 

と、心の底から理解できたこと、それが第一で……。

 

 

 

いや、たぶん、あれは本当に「悟り」の瞬間だったんだとは思うんです。

 

間違いなく、私は“なにもない”世界を、見てしまった。

 

あ、いままでいろんなところで見聞きしていた「空(くう)」って、これのことか! と理屈じゃなく理解できた。

 

あのリアリティーは、ちょっと筆舌に尽くしがたいものがあった。

 

 

 

でも、だからと言って、即座に一般にイメージされる「仏さま」のような素晴らしい人になれるかと言えばそんなことはなくて。私は、相も変わらずいろ~んな欲にまみれて生活しているし、月末になるとだいたいいつでもお金の心配をして青じろ~い顔をしているし、誰かに対してものすご~く意地悪な気分になるときだってあるし、「超能力」なんて一度たりとも使えた試しがない。

 

それでも、私は「悟った」のだと思う。

 

 

 

いや、実際、ものすごく楽になった部分はあるんです。自分があまりにもありふれた「ふつう」の人間である、と知れたことは、私から余分な力を抜き去ってくれました。「ふつう」は、救いでした。

 

あと、「悟った」のち、私、ものすごく忘れっぽくなったんですね。忘れっぽくなったとか言うとマイナスのイメージが強いかもしれないけれど、でも、これが本当に、ものすごく楽で。だってとにかく感情を引きずらなくなったっていうことだから。「いまは、いましかない」って知れたんですね。まだまだ難しい部分はあるけれど、でも、前よりもずっと、過去や未来に引きずられず、「いま」に心を込めた生活ができるようになったとは思う。そうしたら、前よりもずっとずっと、いろんなことがスムーズに運ばれていくようになった。楽になった。とにかく。どういうわけか肩こりも解消されたし……。

 

それと、「どうせぜんぶ自分で作り出した夢なんだよなあ。それなら楽しい夢を見ようっと!」と決意できたのも大きかった。「なんにもない」ゆえに「なんでもできる」ことを理屈じゃなく知ってしまった。そうしたら、割と遠慮がなくなった。だって、前の私だったら変人扱いされることが怖くて、こんなブログ書けなかったもん。でも、いまは、できるだけ「そのまま」を表現していこうと思っています。だって「仲間」に会いたいから。そして、実際、「本当のこと」を表現し始めてから、すでに素晴らしいご縁をたくさんいただいているから。いい夢、たくさん見させていただいています。

 

 

 

総合すると、私は、「悟り」を体験したのち、ようやく、本当の人生を生きられるようになった気がしているんですね。自分なんていない、と知ってはじめて、「自分」の人生を生きられるようになった。言葉にすると変な感じですが。

 

そしてこれは、誰にだって可能なのだと、本気で思っています。いや、理屈じゃなく、知っています。

 

 

 

悟りは「得る」ものじゃなくて。ただ「そうであったこと」を「思い出す」、というか「認める」だけのもので。

 

本来、すべての存在は悟っているのです。どんな人でも。ひとりのこらず。確実に。

 

 

 

「悟り」を人為的に起こすことが可能なのかどうかは私には分かりません。でも、たぶん、その人にとって、一番良いタイミングで「それ」は起こるのだろうと、それだけは自信を持って言えます。

 

 

 

なんだかとりとめもなくなってしまいましたが……。

 

とにかく、「悟り」なんて、ぜんぜん特別なことじゃないし、「悟った人」だって、ぜんぜん特別な存在なんかじゃないってことです。

 

本当は、みんな、悟っているんです。

 

 

 

ただ、共有したいな、と思って、毎日毎日、こんなことを書いています。明日も明後日もしあさっても、一か月後も、一年後も、もしかしたら十年後も、いや、この肉体を離れるときまで、毎日毎日……?

 

私は、「あなた」と、ただ、共有したいのです。

 

だって、本当の救いは、ここにしかないから。

 

 

 

思い出してもらえたらいいな、と思っています。